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カテゴリ:セクシュアルマイノリティ( 15 )

*仲間の体験談 HRさん*

AAに出逢うまでと、最近の自分  HR


楽しいことが大好き!仲間と一緒に遊んで、おバカでオネエでもあり、真面目で一言多い。

趣味はカラオケ、ヒトカラでも、仲間とでも、歌って踊り自分を解放しちゃう。そんなオンナの、いやいや男性です‼の拙い体験談です。

子供のころ、自分のコンプレックスは、オカマであること、貧乏社宅・長屋暮らし、寝小便が治らないことなどでした。
父親は、今となっては尊敬できる立派な人でしたが、鹿児島出身のプライドの高い、躾の厳しい人でした。母親は男勝りな末っ子気質の負けず嫌い。家では、すごく優しくされ守られていましたが、時々父からぶたれたり(父は酒で陽気になったり、癇癪を起こしたりするところがありました。)、母からは「あかんたれやなあー。」と言われたりして、自分が男らしくしなければ大切にされない、
オカマであっては愛されないと勝手に思ったりして、自分を否定してきた気がします。

小学生低学年の時、女教師たちの言葉では、「男らしさがほしい。」とか「すぐメソメソする。」とか自分を否定するメッセージだけが記憶に残っています。周囲から、そのことが原因でイジメられた事実はあまりないのに、虐められたらどうしようとビクビクしたところがありました。

そんな自分は生きるスベとして、人の顔色を窺いつつ、人の心の機微に反応し、物分かりの良い子を演じ、怒られないように委縮し真面目になり、気に入られるよう道化になり、といったことをしていたように思います。自分に向き合うことができず、考えたりすることが苦手で、テレビ依存でもありました。

そして、中1になる春。性の目覚め。「あっ!自分だけ本当に違う!」と思い、同級生の男子たちとは『自分と彼ら』という認識の仕方になってしまいました。普通の男子たちとは最後は理解し合えないという気持ちがありました。ゲイ(当時はホモ・同性愛者とかいう言葉だったかな)であることがバレてはいけないからと、女子とカムフラージュとして付き合ったり、自分がつかめないまま生徒会活動に取り組んだりしながらも、夜は布団で誰にもわかってもらえないと嗚咽したり、一人悩む日々でした。

高校時代、母親のギャンブルの病気が出て、帰宅が夜半になり、父は家に鍵をかけて、母を締め出そうとしたり、喧騒が絶えませんでした。子供のころや、高校時代の父の金切り声などが影響したのか、今でも人の怒鳴り声や荒っぽい口調にドキッとしたり、夜中のドアの開閉音や物音が気になったりすることがあります。仲が良かった姉も、この件では知らん顔を決め込んでおり、自分は、父・母・姉それぞれの気持ちを鎮めるように、その都度、行動してしまっていました。

今思えば、成人するまで、自分自身の主にセクシャリティの問題と、家庭の問題と、それなりに大変な混沌の中にいたと思います。自分を正直に生きれなかったこと、家族にも本音をぶつけて向かい合うこともできず、そんな生き方の不自由さも、自分を酒に強く結びつけた一因だったと思います。

そして私が自分を正直に生きられなかったことが原因で、結果的に、アルコール依存の自分が何十年も、他人を傷つけ、大変な迷惑をかけ続けながら、自分を傷つけ続けることになってしまったと、今は思っています。

社会人になり、ゲイバーに出始めたときは楽しかったなあ!酒とゲイバーは自分を解放しててくれた。飲めば自由になれて、ゲイであっても、人目を気にせずおおらかで楽しく面白い、自分がなりたい自分になれた。昼の仕事は仮の姿で、週末のゲイバーでのバイト(副業は禁止されていたのですが)が自分の本当の姿だと思い、ゲイバーでの飲酒が深まっていきます。酒代のせいで、記憶をなくすとか、クレジットのリボ払い・マイカーローンが遅滞しだすなどの問題は、そのころから出始めていました。

30歳目前、上京し、酒の問題は深刻化。慣れない職場やラッシュなどのストレスから逃げるようにゲイバーに通うようになり、サラ金(ゆくゆく自己破産)、家族の問題に向き合えない(父は酒が原因で死、母のパチンコ借金清算の為実家は競売処分)、離脱症状(寝汗、震え、こむら返り、うつ症状)、ケガ、便失禁、性の問題、欠勤、辞職、転職、盗み、水商売、廃業、失業、自死願望とどん底へと進みます。

飲み続けるために吐いたり、毎回記憶をなくしたり、酒が止まっている今となっては、すごく異常な状態が続いていましたが、当時、それは飲めば当然普通の状態で、記憶がなくなることが救いでした。人の感情には敏感な自分や自分の感情が面倒臭くって、酒に逃げ、自分の感情には鈍感になっていく道を選んだようです。

そして、五年前の春、友人の勧めで専門病院で受診し、アルコール依存症と診断されて、「このまま飲み続けたら死ぬ!死にたくない!」と思え、AAにつながり、何度かスリップを経験しました。3年前から、リハビリ施設に通い、居場所として安心感をもてたり、信頼できる仲間に出会えたりする中で、少しずつ明るさが戻ってきたような気がします。

お互いの話を否定せず、聞き流すミーティングのスタイルそのものや、ミーティング会場を開けたり、用事をしたりする中で、自分にもできることがあったと思えたことも、自分が居てよい、生きて行くんだと思える糧になりました。また、スポンサーとのステップワーク(先輩の依存症者と、過去のことを振り返り、自分の感じ方や行動の誤った点を話し合ったり、傷ついてきたことを受け入れてもらったり、迷惑をかけた人との関係を修復したり、日々のことを振り返るなどなど)を通じ、ここ一年で、変わってきたことがあります。

・人の目は気にならなくなりつつある。

・否定的メッセージを受け流せるようになる。

・自分で自分を抱きしめ、応援し、自分の中で会話できるようになる。

・過去のネガティブ感情を引き起こした出来事ごと忘れていることが多くなった。

など内面の変化です。外向きには、福祉の仕事を再び考えられるようになり、ボランティアを始めるなど、徐々に準備しています。

しかし、一口でも飲んだら最後、また自己嫌悪や自己否定が始まり、今度は生きて仲間の元に帰ってこれないかもしれません。そうならないよう、今日一日を、AAプログラムと仲間と共にあることを感謝しながら、生活しています。楽しいことばかりではないし、まだリハビリの最中ですが、時々、青空を見上げ、浮かぶ白い雲を見ると、自分はまだ生きている、生かされていると思い、涙が出るくらい有り難く思えることがあります。

最近、カラオケは実は、聖子より明菜派だったことが判明。ナオコよりちあき、アン・ルイス。地声が低いこともしらふになって気づきましたが、やっぱり男歌よりWOMAN♪。業の深いオンナです。いいえ、男性です!

by aa-sekumi | 2018-11-20 00:59 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

仲間の体験談ーY . Kさん

私の物語 Y.K


子供の時から女の子に憧れて、手芸部に入ってみたり、
吹奏楽部でフルートを吹いてみたりした私。きっかけがなくて、二丁目で遊ぶことはありませんでした。
完全に女の子になりたいわけではない、人と性行為ができない、「MtXでアセクシュアルなんじゃない?」と自分がわかったのは、ついこの間、とある方に言われて自分のセクシュアリティに気づきました。それまでずっと自分が何なのか、
自分のセクシュアリティに迷っていました。
飲み方がおかしくなったのは就職してからです。
社員みな酒量が多く、定時後に社内で宴会が始まったりする会社でした。まわりがそうなので、ブラックアウトは当たり前だと思っていました。その会社は過重労働でやめました。
やめた後のお酒は、一人でウィスキーや焼酎を、自分の部屋でラッパ飲み。それをずっと続けていました。吐き続けていたトイレを掃除していた母は大変だったと思います。
そんな状態では仕事もできるわけもなく、家で借金を重ねて、ひたすら飲み続けていました。
家を追い出されそうになり、その時通院していたクリニックの力を借りて、断酒の道へと進んでいきました。
AAからはしばらく遠ざかっていたのですが、とある仲間のおかげで再びAAの世界へ帰って来ることができました。
セクシュアルマイノリティのミーティングもなかなか入りづらかったのですが、やはり仲間のおかげでミーティングに出ることができ、「断酒の仲間でセクシュアルマイノリティの仲間」ができました。
今、仲間の中で断酒を続けていますが、決してつらいことではなく、自然体で飲まないことを続けられています。
これも、仲間の力があってこそだと思っています。
仲間の力を信じる、それは、仲間を大切にすることだと思います。まだ人間関係が未熟な私ですが、大きな力を信じて、成長への道をたどることができればいいなと思っています。

by aa-sekumi | 2018-04-02 00:54 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

仲間の体験談(ポエム):Cさん


[偽の太陽]

小綺麗で閑静な一戸建て

罵声も悲鳴も凶器もない

だけど、こめかみに銃口を常に突きつけられているような恐怖感

怯えてみせることすら、許されず

偽の薄笑いを浮かべる

偽の太陽は、容赦なく私の衣服の隙間を破って侵入してくる

本物の太陽の光を遮ったShadow

私は路肩の小石

偽の太陽は
私の魂を殺す
私の魂を殺す

私の魂を殺し続けた

私から真実を感じる力を奪った
絶望感さえも奪われ

偽の太陽は、私の存在ですら、
偽物なのだと思い込ませた

やり場のない怒りと激痛だけが真実


偽の太陽は、私が1番怖れている、黒いナイフを欲しがり続けるように仕向ける

拷問、

疑問さえ封じられた、

鏡に映るのは
偽の自分
なんて醜いんだ
死んだ魚のような目をして

素肌を晒せば、偽の太陽の光が私の魂を殺そうとする
衣服を着替えることすら許されず

髪を梳かすことも顔を洗い歯を磨くことも出来ず

外に出れば、身なりが不潔でだらしないと言われ

偽の月が私を責め続ける
偽の太陽を奪ったお前が憎い
お前はいつも偽の太陽を誘惑している

もし偽の月に愛されたいなら
偽の月よりも醜く愚かで不潔にしていなさい

月に照らされることは決して無く

無影灯の夜

偽りの眩しさに眠れず


by aa-sekumi | 2017-06-27 01:40 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

仲間の体験談ーSさん

AAと私

私がAAに通い始めたのは、3年前の5月のことでした。統合失調症による不安感や鬱感をまぎらわせようと、仕事もせずに昼間っからアルコールを飲み、さらに不安感や鬱感を呼び込んでいる状態でした。アルコールを胃が受け付けず、ワインを水で割ってででもアルコールを摂取していました。

保健センターから、AAという所に通ってみないかと勧められました。インターネットで調べると、アルコール依存症で人生のどん底を味わったような人が行く所みたいな書き込みがありました。恐々と会場に行くと、AAの人たちが、楽しそうに笑いながら会話しているのが不思議でした。いざ、ミーティングが始まると、皆、赤裸々な体験談を話され、やはりそれなりの経験をしてきた方々なのだと分かりました。他の人と比べると、自分の悩みなど大したものでないような気がしてきました。

AAのホームページを隅から隅まで見て、セクシュアル・マイノリティのミーティングがあることを、1月ほどしてから知りました。新宿2丁目でやっているミーティングってどんな感じなんだろうと、ドキドキしながら訪ねました。思ったより普通のミーティングで、温かい人たちとお菓子が迎え入れてくれました。自分の過去を振り返ると、ゲイであるということは切り離せない事実なのですが、一般のミーティング会場では知られないように黙っています。ここでは、そのことも話すことができました。

私が、自分がゲイだと気付いたのは意外と遅く、大学生になってからです。一緒にいたいと思う人が、サッカー部とかラグビー部の人ばかりなので、自分は男が好きなのだと気付きました。それまでは、自分は女性の体に興味がない性的に中性な人間だと思っていました。

2丁目に通いだしたのは、社会人になってからです。当時は、酒に弱く、9時くらいから飲んで12時には悪酔いして家に帰っていました。ブラックアウトするのはいつものことで、それが当然だと思っていました。普通の酒飲みはブラックアウトしないと知ったのは最近のことです。

20年前は、自分で言うのもおこがましいのですが、かわいかったので、おじさんたちからよく声をかけられ、それが嫌で2丁目には通わなくなりました。家で、ビール・ロング缶6本を毎日飲む生活が始まります。会社の飲み会では、酒癖が悪いことで有名でした。飲むと、嫌いな同僚や上司に絡んでいました。普段が大人しいので、笑ってすまされるくらいですみましたが。

2丁目に再び出始めたのは、30代になってからです。(あまり)声もかけられなくなり、酒への耐性が付き、週末は終電で出て朝まで飲むのが普通でした。高給の仕事を辞め、安い給料の会社に転職していたにもかかわらず、そのような飲み方をしていたのだから、間もなく経済的破綻が訪れます。借金で借金を返すような生活になってからは、不安で、毎日、家で眞露の瓶を1本空けていました。

自己破産の際、弁護士から、「あなた、おかしいから精神科医に診てもらった方がいい」と言われ、病院を訪ねたら統合失調症ということでした。破産後、半年は落ち込んで酒も飲まなかったのですが、給料のいい仕事が見つかると、また毎日酒を飲む生活に戻りました。酔っ払った状態で仕事をするようになり、会社では、常に同僚に攻撃をしかけていました。今、思うと、同僚や上司は、よくこんな私を許してくれていたなと不思議な気がします。

寛大だったその会社も、リーマン・ショックの影響で経営難となり、給与未払いで辞めることになりました。余剰金は2丁目で使い果たしていたため、貯金もなく、日雇い派遣や居酒屋バイトなどで食いつなぎました。居酒屋は、バイトの女子大生にため口きかれるのに腹が立って、酔っ払って仕事に行ったときに喧嘩して、2カ月で辞めました。家賃も滞納し、払えるめどもなく、自殺も考えました。

その後、友人からの援助や、社会福祉協議会からの貸付金などで生活を立て直します。ハローワークの職業訓練で、介護の資格を取り、働くも、元日、酔っ払って仕事に行き、同僚への不満を上司にぶちまけました。上司が同僚を弁護するので、腹が立って本社に事業所の違法事項を報告した所、本社の査察が入り、事業所の人、全員を敵に回してしまいました。さらに利用者とも喧嘩し、仕事は辞めざるを得ない状況になりました。

仕事を辞め、ひとりで家の中に1日いるようになると、今度は、昼間っから酒を飲むようになってしまいました。連続飲酒の始まりです。肝臓も悪くし、脂肪肝の疑いがあると医者には言われました。始終、不安感と鬱感に悩まされ、心はよどんでいました。

それでも、何かしらの職に就かなくてはと、仕事支援センターを訪れました。就労移行支援事業所を紹介されるのですが、実習でものすごい緊張感に襲われ、45分おきに15分ある休憩時間はトイレの個室に籠っているという状況でした。そのことを正直に、保健センターの担当保健師に伝えた所、最近の薬は性能がいいのでそこまで薬が効かないのはおかしい、ひょっとしてお酒を飲んでませんかということで、連続飲酒が発覚しました。精神科の薬と、アルコールは相性が悪く、薬が効かなくなってしまうそうです。

私にとっては、仕事よりもアルコールを止めることの方が先決だと、保健師からAAを紹介されました。AAに通いつつも再飲酒を繰り返していたのですが、不安感や鬱感は大分、軽減されました。

再飲酒して飲み続ければ、待つのは、経済的打撃と精神的不安定であり、その先にあるのは死かもしれません。今は、AAで断酒を目指しています。

AAセクシュアルマイノリティメンバー S
by aa-sekumi | 2016-04-09 01:07 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

仲間の体験談ーGさん

生き辛さから解放されるまで

僕は今から55年前に東京のサラリーマン家庭の長男として産まれました。
寡黙でおとなしい父と賑やかで社交的な母のもとで、幼少期にはピアノなどの習い事をさせてもらうなど、何不自由のない子供時代をすごしました。
やがて3歳下に妹が産まれ二人兄妹となります。母は僕を女の子のように可愛がり、遊び友達も男の子と遊ぶと粗野になるからとのことで女の子の中で遊んでいたように記憶しています。小学校の低学年の頃まで女の子の服を着せられたりもしていました。

僕はそれはそれでよかったのですが、周りの大人たちの中には男の子なのにみっともないとか言う人もいたのでだんだん嫌になってきました。でも今振り返ってみると、女の子の生き方の方が心地よかったと思います。
小学校の高学年になると母の僕への接し方が変わってきて、「男の子なんだから勉強していい学校に行っていい会社に入って出世しなくちゃね」と言うようになりました。勉強はもともと好きでしたが、人を押しのけて出世するような生き方は僕には向いていないと思いました。砂浜の貝殻を拾って日光にかざして自然科学に思いを馳せるとか、絵を描いたり詩を詠んでいる方が好きでした。

僕は男性的な生き方は向いていないと思いました。上から目線で人に偉そうにものを教えたり何かをさせたりすることは、自分がとても傷つくのです。また、自分がそうされることも嫌でした。競争も嫌でした。
女性にもそういう人はいるかもしれませんが、男性に圧倒的に多いと思います。僕の父は寡黙でおとなしい人だったのでそういうことはしませんでした。

ですが時代の流れに乗って僕も受験で成功して有名私大の付属高校に入学し、理工学部へ進学、大手自動車メーカーに就職という親の望む通りの道を歩みました。周りも喜んでくれましたし、それはそれで嬉しかったです。
就職してから本格的に競争社会に巻き込まれ、生き辛さがどんどん増していきました。毎晩寝酒をあおるようになり、どんどん酒量が増えていきました。
そして朝酒から社内飲酒とお決まりのアルコール依存症の道を辿り、連続飲酒で吐血して底をつき、AAに来たというわけです。

僕には企業社会でくぐり抜けてきた狡猾な競争心理と成果主義が染み付いていました。ですからAAに来てお酒を止めても身体は健康になりましたが生き辛さは残っていました。何につけても秀でていなければならないとか、人より早く回復しなければという思いがありました。
ずっとずっと縛られていたんですね。

5年前に母が他界しました。その2年前に和解できてお互いに赦せたと思っていたのですが僕は相変わらず古い考えに縛られていることに気がつきませんでした。それは「男らしく強く人より秀でて出世して」という本当は僕が望まない生き方です。柔和で愛に満ちた生き方を心の奥で待ち望んでいながらその外側に刺さっている刺を抜くことができませんでした。

やはり心の刺は自分の力ではどう頑張っても抜けないんですね。無力なんです。それがわかったのは神様が僕の生き方を挫いてくれたからです。
神様が思いもよらない方法で僕が人生を明け渡すことを選ばせてくれて、結果として刺が抜けていったのです。全部とは言いませんけどね。
そのとき母が夢に出てきて言ってくれました。「あなたの好きなように生きていいからね。もう誰も邪魔しないから」って。僕は号泣しました。

僕はトランスジェンダーという生き方に足を踏み入れました。現在の体の性は男性、現在の性自認は中性から女性、現在の性指向は女性です。もともと女性的な生き方が最奥にありましたからこのような状態にいます。男性の持つ粗野な部分には正直言って嫌悪感を催します。ただ時折男性的な狡猾な面が現れることもあります。
身体の状態も徐々に変化しています。

今の時代では僕のような生き方も、特に都市部では受け入れられているようです。月に一度セクシュアルマイノリティのミーティングに参加して分かち合っていますが、お酒を神様にしてしまうような生き方に至った最奥の原因がどこにあったのか、生き辛さの本当の原因がどこにあったのかがより明確に分かってきたように思います。

僕が辿った道、歩んでいる道がすべてとは思いません。でも僕は今、確かに自分自身として生きています。本当にありがたく思っています。

AAセクシュアルマイノリティメンバー G
by aa-sekumi | 2016-03-22 23:28 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

雑 感         シカゴ

セクマイミーティングに来たきっかけ
 私が,初めて新宿二丁目のミーティング場所に来たのは,ぼんやりとしか思い出せないが,ゲイの男性である私のスポンサー(AAにおける相談相手)にメンバーが少なくゆったりと話せる場所だから,みたいな感じのこと聞いて,スポンサーに連れられてきたような感じだった.

初めてのゲイタウン
 新宿には頻繁に遊びに来たことがあり,なじみの街だったが,新宿3丁目の駅から外に出ることは今までなかったので,新宿3丁目の駅の階段を上がり,地上に出た時は,とても新鮮な気持ちがしたことを思い出した.

 閑散としているのか,開店休業なのか,気まぐれにしか商売をしたくないのか,ただ単に,商売っ気が無いのか,なんだかよくわからない商店街の中にミーティング場所がある.

 ミーティング場所は3階にあり,大きな窓から近所が見渡せるので,ここが飲み屋街で風俗店も混在しているのがわかる.この街では,男という文字はたくさん見かけるのに,なぜか女という文字が無く,男性用下着屋が軒を連ねているし,商店街を通る男たちが男を求めている目線を目の当たりにして,ゲイタウンだと分かった.

私の病気について
 私は数年前アメリカに住んでいたことがあり,ゲイの男たちとも一軒家をシェアして住んでいたが,ゲイの男たちに対して興味を持ったことはなかった.私は性依存症者でもあり,下半身に奇妙な感覚が走るとセックスを男女を問わずしたくなるということがあり,性風俗の盛んな場所を求めて出かけていくことをしていた.いろいろ危険なこともあり,自分ではやめたいと思っていたが,自分ではどうにもならなかったことを思い出した.

 私の両親は一流大学卒だったが,大酒飲みで,しばしばトラブルを起こしていた。親戚づきあいもなく,友人も少なく,孤立していた.私は子供ながらも,こうはなりたくないと思っていたが,小学校低学年の時から,親の酒を盗み飲み,親や兄のエロ本を読み漁り,マスターベーションに耽り,性的なファンタジーに酔うことで日々の寂しさを紛らしていた.私は,元々勉強好きだったことや,気が弱いので不良グループに交じることはなく,かろうじて普通の子をやっていた.他人に対し,気を使っても上手くいかず,友人はとても少なく,孤立していた.恋愛したいと思っていたが,全くもてなかったので,風俗店で働いたりしたこともあった.

 病的性衝動が止まらず、女性の親友に頼み込んで一度だけセックスしたことがあった。感想は、おたがいとても気持ち良かった。親友としての関係は崩れなかった。

 持病の腰腹部痛のため,不眠になり,眠るため酒に睡眠薬を混ぜてブラックアウト(記憶を無くす)することを毎晩繰り返し,イライラが募り,大暴れして精神病院に措置入院したこともあった

 アメリカの大学に留学中のある日,学生相談室の前にAAのミーティング予定表が置いてあり,初めてAAの存在を知った.行きたいなぁと思ったが,当時は恐れが強く,AAミーティング場所まで私を連れて行ってくれる人はいないだろうと思いこみ絶望感で一杯だった.

 大学を卒業後,日本に帰国したが,頭と体が酔っぱらったままだったので,仕事では,相手の言動に囚われたり,恋愛ではパートナーからDVを受けたり,両親は酔っぱらったままで,私に自分勝手な事を言ってくるのでイライラが募る日々だった.

 私の孤立感は相変わらずで,外見の若さがかなり衰えた状態では,盛り場や風俗街に行っても相手にされず,もう少し若くないとダメと言われ,行く場所が無くなってしまった.不安だし,なんとかしなきゃと思い,ACなど依存症のメンバーが集まるミーティングに行き始めた.そこでも仲間とうまくいかず,一回行っては休んだり,行かなくなったりしていた.

 私の両親の酔った行動が私の安全を脅かす状態になってしまったため,4年前の大みそかに実家を出て,サウナを転々として暮らすようになった.

 いくつかのミーティング場所で,AAでメンバー同志が助け合い,目覚ましい回復を遂げていることを聞き,AAに行きたいと思うようになった.しかし,なかなか勇気が出ず,朝から酒を飲んでいたわけじゃないし,アル中じゃないかも...と迷い,しかし,気分の落ち込みや,孤独感はひどくなる一方だった.サウナ生活がもうすぐ1年になろうとしていた11月になり,私は,決意した.私にはAAしかない,やってみようと思い切ってあるグループに加入した.

 AAミーティング場で,「アル中のシカゴです」と初めて仲間の前で挨拶したときの緊張感を今でもはっきりと覚えている.それからは,仲間たちが自然に作り出す波というか,うず潮というか,台風,竜巻?!のような猛烈なパワーに乗せられ,流されるままに身を委ねていたら,自然に私を取り巻く状況が劇的に変化し,静かな回復が訪れていた.お酒が止まると同時に病的性衝動も止まった。

 飲む,ということ以外に自由な選択肢が与えられている喜びになんて幸せなんだろう,というあたたかで安らぎのある感覚の訪れは,今までの飲んでいた人生とは全く違うもので,私が経験したことのない新しい世界の入口に繋がっている.

 私は,女性であるが,男性と結婚して,子供を持ち...という人生になぜか興味が持てず,男性を女性の持つ家事能力,女性としての容貌,性的魅力でコントロールしようとする女性たちに対して馴染めず,私には居場所がない感じがしていた.私はもともと掃除洗濯料理など,家事が好きで周囲にもうすぐお嫁に行くの?と言われる位熱心にやっていたが,お酒を止めてから家事ができなくなってしまった.でも,今は休養が一番大切で,必要最低限で困らない程度にやっとけばいいやとのんびりできるようになった.飲酒しているときは,なぜか日常の些細な事に対して,強迫的になっていたことに,回復してから気が付かされた.

 お酒を止めてから4年の月日を経た今は、こんな私でも結婚して子供を持ちたいと思うようになった。

和気あいあいとした雰囲気のミーティング
 セクマイの仲間たちは,スリムな体型のメンバーが多いのにも関わらず,なぜかお菓子が大好きなメンバーが多くて,ミーティングでは,お菓子を持ってくるのは決まりではないのだが,お菓子を持ち寄り,あれこれ食べながら,おしゃべりを楽しんでいる.もちろん,私のように,お菓子を買ってこないで食べるだけでも,ダイエットと虫歯予防のため,食べずにお菓子を見ているだけでも,お菓子は嫌いだからとお菓子を無視してお茶ばかり飲んでいても.おにぎりやサンドイッチを食べていても,黙って許してくれるところが,セクマイミーティングの隠れた良いところ?!かもしれない.

セクマイの仲間以外にもメッセージを運ぶ
 毎年夏に,オープンメッセージとして,誰でも参加できる,オープンスピーカーズスタイルのミーティングを行っている.セクマイメンバーが汗だくで自分の問題について熱弁をふるい,場内からの質疑応答に真剣に応じる姿は,感動的だった.会場は立ち見が出るほどの大盛況で,女性たちもたくさん来場し,「初めて,二丁目に来たわ〜」と元々興味はあるが,ゲイタウンのため女性が足を運びにくい場所に来ることができたことに対する満足の声が聞かれた.セクマイにとって脅威となる問題の一つに同性の無理解による偏見,差別があるが,このオープンメッセージや,セクマイミーティングがその問題の解決につながるきっかけになってもらいたいと切に希望してやまない.普段のミーティングでも,ミーティング場所に来てくれた仲間が安全に,気持ちよく参加できるよう話し合いを行っている.
by aa-sekumi | 2014-03-04 12:48 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

仲間の体験談—ルーさん Part 4

 仲間の皆さん! 残暑も落ち着き始め,如何お過ごしでしょうか? 前回,「来月に!」などと調子の良い事を言って置きながら…酒を止めても,先延ばし癖がなかなか取れない,口だけルーです….
 平成8年秋に自主退学というか中途退学したボクは,実家に戻り,児童障害者福祉施設でボランティアを始めた.初めての日,動物園の遠足だった.当たり前の事だが,初対面のボクには誰も関心を開いてくれなかった.でも帰り際,ボクが車で出発しようとした時,児童皆が,小型バスの窓から「ルーさん! バイバイ!」って手を振ってくれた時…ジ〜ンと胸が熱くなった.温水プール実習の時は,足が不自由な子が,裸で地べたに座って平然と着替えているのを見て,自分のハンディを受け入れて前向きに生きる姿勢を感じた.この仕事,やりがいはそれなりに感じられた.でも…当たり前だが,酒が飲めない.翌平成9年の2月位までで,止めたんだけど…驚いた事に,あれから毎月,ボクの実家には,その施設の通信が送り続けられていたんだ! 今では,ボクの部屋の住所に変更届けを出して郵送して頂いている.向こうのシステム上の事なのかもしれない.それでも…今年で17年目だ.ボクからのコンタクトは一切無いのに….感に堪えません!
 そしてボクの進路は,あの事故を起こした平成5年の夏から通っていた地元の居酒屋に雇って貰う事になったんだ.そこは,客からの酒は飲んでも OK! だった! 安い店だったけど,客時代ボクは,店長や他の店員に酒をおごっては毎回1万円位のお会計.今思えば美味しい客として可愛がられていたに過ぎなかった.同じサイドに立ったら,店長がまるで別人になったんだ! ケジメと言うよりは,その時のボクの感覚ではイジメとしか思えなかった.ワンマンだった.店内では大人気無い罵声を浴びせられ,洗い場を泣きながらやっていた時には,カウンターの勿論ボクも知っている常連さんが,同情して瓶ビールを頼んで,そっと突き出してくれたんだ.あの時の心境…涙を手で拭いながらも何杯も頂いた!(笑) 焼き場,煽り場,刺し場の片付けも,店長が座って客と飲みながらも,やはり罵声は止む事が無く,悔し涙の日々は続いた.そして,もう1人,後にボクの彼女になる子にも,店長の攻撃は向けられた.店が終わってから,少しずつ彼女(Rちゃん)と飲む機会も増えて行き,自然と付き合う感じになったんだけれど,この頃はまだ,数年後のボクが,あそこまで堕ちている事など彼女には想像すらつかなかったろうと思う….そしてボクは彼女に,恋愛感情と言うよりは,お互い店長からいじめられている者同志…と言う所で,甘えたい感覚,慰めて欲しいと思っていたのだと思う.
 翌年,店長は独立の為,店を去る事になったんだ! 嬉しかったなあ.そしてボクは正社員として仕事に就かせて貰ったんだ! 週3日,1日置きに午前中から仕込み当番が有った.その前日は仕事を終えたら帰れば良いのに,そうは行かない! 最低1軒には足を運んだ.常連だった屋台村だ.仕込みの日は翌日が遅番だったから勿論,朝までだ! キャバクラにも必ず足を運んでいた.しかも.仕事着のまま…長靴に白衣,そして捩り鉢巻きをビシッと決めて! う〜ん,馬鹿 !?(笑) 多分,ボクの中では格好良い!って言うか,男らしさを見せたい!みたいな感覚があったのだと思う.お気に入りの指名ホステスもいた.カラオケ・タイムが終わっていても,店長に一声!「ルーちゃんに1曲イイでしょ!」って.その彼女が別のテーブルからでも「ハイ! ルーちゃんの志村けん5秒前!」って…カウントダウンで一発芸! 仕事場では,それでお客からビールを貰っていたけど,流石に….勿論その彼女に対して恋心なんて無かった.ただ元気があってウマが合った!ってだけだ.アフターして〜なんて思った事も無かった.ただ,無意識的にキャバクラ通っていれば,イコール,ノーマルの男!みたいな感覚になれて,当時は表面上の生き方として楽だったのだと思う.
 そう言えば,ボクの働く居酒屋はチェーン店で,その別の店で働く男の子から「ルーさん! 行き付けのビデオ屋の店長から,お小遣い稼ぎで,ホモビデオの出演バイトしない !? って声をかけられちゃいましたよ〜.」って話をされた時があったんだ! 「チンポ勃たないっすよー,って言ったら,女性がフェラで勃たせてくれるんですって! でもオレ何か怖くて断っちゃいましたよ!」.あの時,何て応えたかは覚えてないけど,(うわ〜ボクやってみたい! 女性の手なんか借りなくても…)って強く思ったのを覚えている.その後も,仕込みで一緒の日は,(どうにかあの話アプローチ出来ないかなぁ? でも,しつこく聞いて変な疑いを掛けられたら,嫌だし…)って,結構長い間,囚われていたなあ.
 屋台村では,通っているうちに色々な人達と仲良くなった.同業の飲食店関係は勿論だけど,別の屋台でバイトしていた男の子と,その友達とも.彼らとは屋台村以外でも,カラオケボックス行って,皆が小便を我慢出来なくて,1つの便器に4人で連れションしたのを思い出す.その内の1人なんて,「ルーさん! 俺のチンコ,勃つと180度逆さになっちゃうんすョ!」.ボクが,「えっ! マジ !?」って爆笑すると,「でも,この1年でキャバ嬢100人とはヤッてますョ! しかもホテル代は,殆ど向こう持ちで!」って! 別の1人,ちょっと皮が…って奴は,その後,何時の間にか結婚していて,「ルーさん! 双子のパパになっちゃいましたよ〜! 女の子! 可愛いんだ!」って….「へぇ〜,おめでとう!」って握手するんだけど,やっぱり,そういう話を聞くのは,学生の頃からだけど,何か胸にギュ〜っと重さを感じる様になっていた.
 その内,初めて「ニューハーフ」に連れて行って貰ったんだ! 深夜0時までは,普通のキャバで,過ぎるとメンバーがチェンジするんだけど…その時は,どこかのママさんに,ボクの苦手な例の店長が同席する際に,たまたま連れて行って貰っただけで,内容的に思い出とかは無かった.だけど,後日直ぐに1人で入ったんだ! 始めの何回かは,玉だけは抜いて竿は残したまんま!っていうMちゃんが面白くて通っていたけど,それから間もなく,Iちゃんにハマった! 彼女は自分の話を10代の頃から包み隠さずしてくれた.感情の起伏が激しかったけれど,魅力的で惹かれるものがあった.屋台村で知り合った男の子を連れて行った事もあった.彼には引かれちゃったけどね….
 それから少しして,Iちゃんが独立して,同じ通りに店をオープンしたんだ! ニューハーフはIママだけで,その他にホステス1人とおなべ志望の女の子2人,そしてホストには,先程話した,屋台村の男の子達を雇ってだ! 少しずつ足を運ぶ回数が増えて行った.キャバクラ行くよりも,気分的に楽で落ち着けたんだ.
 その後Iちゃんは繁華街から外れた所に店をオープンした.そこは,深夜仕事を終えた水商売の方達が来る様になって,盛り上がって来るのは深夜2時3時からだった.ボクが店を終えて直行しても0時を過ぎているとはいえ,貸し切り状態だった.そんな中ボクはママや,おなべさんのAちゃんやらと,話したり,歌ったり,トランプで賭け事したりしながら,たわいなく飲み続けた.お客も入って来てIちゃんも乗って来ると歌の合間に宝塚の一幕を演じたりする! もっと乗ると全裸になっちゃう!(笑)
 そのIちゃんが,よく口にしていたのが「整形するならタイよ! 値段の安さも技術も世界1よ!」って.普段,夕方Iちゃんが買い出しからお店に入る前に,よくボクの店に寄ってくれたんだけど,ある日の事だった.ボクの前のカウンターに1人の女性が座ったんだ.Iちゃんにそっくりだったけれど,顔には青たんが出来ていて痛々しかった.それに,微妙に雰囲気が違うような….声を掛けれずにいると…「ルーちゃん」って…この声は,Iママ! 「どうしたの〜 !? その顔 !?」って訊くと,「従業員(Aちゃん)たちに,骸骨呼ばわりされて悔しいから,タイでシリコン入れて来たのョ!」って….頬っぺたと下顎を指差して,「5万,5万,10万」って….まだ痛いから,いつもの「オーホッホッ!」って特有の勝ち誇った様な笑いは聞かれなかったけれど.
 その後もIちゃんは従業員をタイ旅行に連れて行ったりしていた.ボクのお土産は毎度タイ・ランドってプリントされたTシャツだった(笑).Iちゃんが言うんだ…「もうイヤ! だってAとか皆,男性グッズショップばっかりなんだもん! 私だって行きたい所あったのに,全然廻れなかったわ!」って.その頃からAちゃん他のおなべさんがIちゃんと一緒に,閉店後,新宿にホルモン注射を打ちに行くようになっていたらしいんだけど,これが驚きだった! それまで腕相撲勝負もボクは小指1本でも勝てていたのに,最終的には敵わなくなっちゃって….そのうち,彼女らが「ほらっ! ルーちゃん見てよ!」って腕毛や臑毛が濃くなって来たのを嬉しそうに見せるんだ! 挙げ句の果てには,「ルーちゃん! ボクのクリちゃん,こんなに勃起する様になったんすョ!」って指で長さを表して見せる.ボクも「うっそ! マジで〜 !?」って返すんだけど,何せ,見た経験が無いから,もう勘弁して〜って内心だった.
 そして到頭,ボクと仲良かったAちゃんが,胸を取っちゃったんだ! 子持ちの×1女性と一緒に生活して,養って行く為に,小型トラックの運転手の仕事に就いて,「家族を支えますよ!」って.平成16年位までは,ボクのダラダラと通う日が続いた.
 この当時も,勿論,自分がゲイとは思っていなかった…以前も話した通りだ.思いたくなかったから,真剣に向き合わないでいた.でも彼女達の生き様を目の当たりに見させて貰い,色々と感じる物があったのだと思う.その後,ボクがセクマイである事を受け入れられたのには,自分自身の形に囚われた幼少期からの生き様を,孤独感を取り除いてくれた純粋な仲間意識と,思いもしなかった自分の命への底力が,有ってくれたお陰だと思う.
 本当に,たわいない話しか出来なくて….「ルー! 彼女(Rちゃん)とは !?」…ですよね….次回は話させて頂きます.
by aa-sekumi | 2013-09-28 09:14 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

仲間の体験談—ルーさん Part 3

 皆さん,御無沙汰しております.先延ばしルーです.お許し下さい.続きの前に,まず訂正があります.それと言うのも,お恥ずかしい話ですが,セクマイの仲間に指摘されるまで「性同一性障害」とは,セクマイ全部を引っくるめた意味だと思ってたんだ.仲間から詳しい説明のメールを頂いた.纏めると「性同一性障害とはいわゆる心の性と身体の性が異なる為に違和感を感じる障害の事.ルーさんの場合,お話を聴いた限りでは,性自認が男性で性嗜好が男性指向ということですから単なる同性愛者という事になります.したがって障害でも病気でもない,心身共に健康な男性であると診断されると思います.」って.ハイ! ゲイのルーです!(笑) 今後とも宜しくお願いします!
 話の続きですが,サークルの友達のリゾートマンションがある草津スキー場での事故だった.ボク達は春休みに入ったばかり.後輩達も連れて車3台で行った.確か2日目の夕方,もうゲレンデの下,このコブをクリアして今日は終了,のはずだった.コブを前にストップしているスキーヤーの間を抜けて飛び出した所まででボクの記憶は,その後,ICUから一般病棟に移る2月末まで飛んでいる.救急車には後輩が同乗してくれたらしい.途中の病院では手に負えず,前橋の脳外科病院で手術を受けた.医師から命は…難しい,と言われた両親.これは一般常識らしいが,葬儀屋を押さえなければならなかった,父の心境.あの子は助かる!と信じて祈ったクリスチャンの母.駆け付けてくれた親戚の方々.そしてサークルの大事な仲間達の友情以上の想い.お陰様でボクは助かったんだ.両親,妹,友達の名前が全く出て来なかった.右足の全麻痺,右視野が狭まり,紙オムツ,尿道には管が繋がっていた.そして吃音,どもりだ.
 3月末に退院して,4月から通学するのだけど,5月のゴールデンウィークまで,難無く禁酒禁煙が出来た.そして,サークルの仲間の祝福と共に,横浜で解禁パーティだ! 嬉しかった.でも,その時は事故で皆をどれだけ泣かせたか,とかは少しも解っていなかった.同期は都内の3・4年生校舎に行った為,会うのはテニスの練習の水曜日と土曜日位になった.そんなボクは1人で居酒屋のカウンターで飲むのを覚えるのだけれど,これがハマった! 右左のおやっさんにボクの事故の事を話すと,決まって「お前,偉い! 頑張れよ!」って,1杯おごってくれたり,伝票ごと持ってくれたり.
 丁度この頃から,3杯位,生中飲んだ所で,お腹が溜まって来たら,わざと戻す様になるんだ.すると段々調子が良くなる気がした.顔や首筋に良く斑点が出来ると,「ルーさん! 大丈夫ー?」ってマスターから言われる.涙目で「全然OK!」って,毎度の事になっていた.昼間から蕎麦屋,寿司屋のカウンターで,つまみで飲む事も覚え,授業には全く出席しなくなっていた.校舎のある戸塚の住民とも店で知り合い仲良くなっていた.
 何だか,だらだらと…セクマイの話は? う〜ん…この学生時代,朝10時からパチスロのモーニング,パチンコ,夕方から後輩達を朝まで飲み連れ回したり,ボクの部屋で麻雀や,部屋中が一升瓶や焼酎の空き瓶だらけだった.後輩達からは,その後オウムに因んで「ルー・サティアン」って名付けられたりもした程だった.もうこの頃から既にアル中だったと思う.取り合えず,酒を飲んでいる時は現実から離れられる…その時だけ.でも同期も卒業し,後輩も….ボクは毎年取得単位0の状況が続き,6年生の頃には,後輩を連れたパブとかでも空しくて,この先が怖くて,良くサビの部分で泣きながら歌ってたんだ.
 事故ってからのボクは,常に後輩男共を側に置いておく事で安心感があったのかも知れない.よ〜し,こいつらも女気ないぞ!みたいな感覚.パチンコで何万勝とうが,それ以上おごって使った.寿司屋のマスターにも「ルーさん,女買ったりしないの?」って.「皆が知らない内に,そこら辺はしっかり…」ってにやけて返すんだけど,嘘バレバレだったと思う.別のサークルの女の先輩2人が飲んだ後,流れでボクの部屋に泊まった時もあったなあ….キスから始まっちゃって….ノーマルの男だったら願ってもない3Pチャンス?なんだろうけど,ボクは,前回話した,留学する彼女を断った時と同じ様に,逃げちゃうんだ.後輩の女子ともボクの部屋で1:1になった事がある.「お泊りOKです!」って.でも,ただ飲みまくって終わりだもんなあ.電気を消して寝る時も,(あ〜普通,ここでヤッちゃうんだろうなあ…彼女はどんな心境なんだろう)って.
 平成6年春の事だ.1人仲良しサークルの新1年生で可愛い男の子(Yちゃん)がいたんだ! ちょっと素振りに女っぽい所があったけど,目がキリッとして,今思えばタイプだったんだ.ボクは4年生.そのサークルと,横浜での新歓コンパの2次会で合流して飲む事になったんだけど,彼は下戸で,1次会の後,広場で大の字になって潰れていた.ボクは「Yちゃん!」と声を掛けるが反応無し.どさくさに紛れてジーンズの上から陰部を触ったり,結局はサークルも違う,しかも4年のボクが,皆は2階の座敷で飲み会やっている中,1階のカウンターで,お冷やや,お茶やらを飲まし,焼き鳥を食べさせ,介抱してあげ,帰りは同じ町なのでボクの車で送ってあげたんだ.これも男女だったら,お持ち帰りコース?って奴かも知れないけど….それからも,良くボクの酒を飲むコースに誘うと心良く付き合ってくれた.七里ケ浜のバーにも,彼はノンアルコール・カクテルで! 帰りはドライバーも! そのYちゃんの部屋に泊まり込んだ時もあった.彼がシャワーに入っている時,出て来た時もそうだけど,何度襲い掛かろうと思った事か….拒否されたら…って思うと… 嫌われるかも…それが怖くて出来なかった.
 その後も,女性とHっぽくなるシチュエーションには出会う.七里のバーに1人で行き,夜も遅くなり,ボクの仲良しの店員Kさんと女性客2人だけになり,店を閉めて藤沢に飲みに行く事になった.相手も車だったんだけど,会計した後,Kさんは別のマンションの階段で,片方の娘とHが始まっちゃってたらしいんだ….もう一方の娘,つまりボクのお相手は,可愛いかったけどボクはまた何も出来ず….するとその娘,Kさんの最中に「もう帰ろう!」って….結局,ボクはKさんの部屋に泊めて貰ったんだけど,「もう〜 ルーは奥手だなぁ」って….「スミマセン〜」って.そんなのばっかりだった.
 なにしろ毎日飲み回っていたから,3・4軒目にもなると後輩達がケンカやハプニングに良く巻き込まれた.ボクもボッコボコにされた事あるけど….あの時は,隣の若い男子2人をボク達のテーブルに呼んで山手線ゲームで盛り上がっていたんだ! 会計ボクが払って表に出ると,後輩が別のテーブルにいた男2人に殴られてて…加わったけど,全く助っ人になれず….ボク始めの声が,でか過ぎたのが原因だったらしい.可愛かった若い男子2人は即行!逃げちゃったし…(笑).
 行きつけのスナックに珍しく女の後輩も連れて行った時には…カウンターの客にボク達,タクシー2台で関内まで連れて行って貰い,高級クラブ?っぽい所やら…でもその客,お目当ては彼女だったらしく,これも後で後輩から聞いたんだけど,ホテルに強く誘われて泣き出した所で,その客にタクシーで帰らされた…って.世間での男性が女性に対して持つ性欲…想像すら出来なかった? 否! パターン的にだったら解ったはずだし,警戒も出来たはずだ.もう既に自分の酒が第1になっていたんだ.あの時…万一にでも彼女に間違いが犯されなくて本当に良かった….
 大学時代…事故ってからは,酒だけで他には何も得る物は無かった,って思っていたけど…確かに酒は下欄でいたけど…まだまだ沢山の思い出が浮かび上がって来るんだ.笑いあり,涙あり,ボク,「ルー」の持つ色んな「情」を育ませて貰った.
 これまで話した上で皆さんもご承知の通り,未だに童貞だったが周りには,それを偽っていた為にY談H話は大苦手だった.特に行為の上での細かい話になると,お手上げだ! 可愛いタイプの男の子のHな体験談とかは,ボクの想像オナニーの格好のネタになった(笑).もう完全にゲイなのに,あの頃のボクの心境は…(ゲイかも…)ではなく(ゲイのはずは無い!)とシャットアウトしていたんだ.多分,幼少時代「おかま」呼ばわりされてから悩み,ボクなりに必死に作り上げた当時のキャラクターだっただけに,イコール弱者!ってイメージ付けていた.おかまやらゲイやらって…ボク自身受け入れるなんて,到底あり得ない事だったんだ.
 平成8年夏,6年生だったボクは,大学のテニスサークルの大会にも,朝方まで後輩を飲み連れ回したあげくに首都高でそのまま直行する事を平気でやる様になっていた.テニスだけは大事にしていたつもりだったが,もう駄目だった.全てにおいて酒に捕らわれていた.初めて自分の取得単位数を見つめた.卒業は無理だろうと考えるしか無かった.両親にTel.して,その事を告げたんだけど…理由も,事故の後遺症を学校側が理解してくれなくて…って泣きながら話して…親も理解して大学中退する事になったんだ.嘘でその場をしのぐボクの生き方は,これ以降も続いて行くんだけど,蟻地獄に捕まっちゃっている,というより喜んで入っていた感がある.
 取り合えず今回はここまでで.次回は来月に! あ〜ぁ! 言っちゃったよ! ルー!
by aa-sekumi | 2013-07-24 19:06 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

仲間の体験談—ルーさん Part 2

 アル中のルーです.ボクの先延ばしで,続きが遅くなりました.
 高校時代,部活だけは熱心にやっていたんだ.でも雨の日は必ず遅刻.かばんに私服を詰め込んで行って,下校と共に新宿歌舞伎町のディスコに繰り出すんだ.お目当ての女の子がいた訳ではないし,フリードリンクのアルコールを飲みまくる訳でも無かったけれど,あの解放感! 良かったなぁ.
 普段の日は,部活を終えて,帰りにダブルスのパートナーと駅ビルのレストラン街で,お茶したり,ご飯を食べるのが習慣だった.パフェにもはまったなぁ.飲食代はボク持ちだった.「おごるから付き合って!」って言うのがボクのお約束だった.お金は親から盗ったものだ.ボク,親の金に手を付けたのは,小1の頃からだった.あの時は,家の貯金箱ごと,デパートに持って行き,1円,5円玉を座り込んで10円ずつ並べて,ソフトクリームを友達におごってあげたんだ.金で友達作りしているつもりは無かったけれど,その後,中学では親父の財布から万券に手を出す様になり,高校では家の商品券にも.「お前,なんでそんなに金持っているの?」ってたまに聞かれた.適当にごまかしていたんだろうけど,この癖は止められなかった.
 アルコールを初めて口にしたのは,10才位の時だったと思う.日曜日に親父が晩酌の時に1杯進めてくれたんだ.感想は…苦い,だったけど,飲み干した.その後も,たまに飲ませて貰っていた.飲み会っていうのは,中3の夏休みにクラスの女子の部屋に男女5人ずつ位で集まったんだ.酒屋で焼酎の樹氷を割るジュースやら買って,部屋で女子が作ってくれた.他の男子が酔っ払って寝ちゃう中でボクは,お代わりを続けた.女子達が「凄いね!強いね!」って,何か誉められている感じがして,優越感に浸ったのを覚えている.高校時代は,前に述べたディスコでと,中間,期末試験の後にクラスで飲み会はやっていたけど(友達の知り合いの店で,マスターが一般客とは別にカラオケ付きの奥座敷で飲ませてくれた),それ位だった.
 男同士で,「好きなアイドルは?」って.これは苦手だったけど,中学時代は,彼女が好きだった斉藤由紀にしておいた.無理して『卒業』とかを買って聴いた.高校時代は,ショートカットのアイドル達,浅香唯とかにしておいた.ボーイッシュだったからかなあ.でも実際,ネタにしていたのは,エロ本の男優のお尻か,レンタルビデオでは『童貞物語』とかの,或は家でダビングした連ドラの学園物とかの,それだった.ネタにはしないまでも好きな男性芸能人が出演しているドラマなんかは,必ずダビングしていたなあ.他にも,学校の住所録から,夜にチャリンコで駅1つ離れたイイな!って男子の家を探り当てて,表札見ただけでドキドキして,脇から風呂場の前にもいった.誰か入浴中だったけど,勝手に彼だ!って決め付けてムラムラしたりもしたんだ.
 そして取り合えずは,高校卒業した.進路は周りに流されるまま,浪人して進学する事にした.この浪人生活は,ひどい物だった.午前中,新宿の予備校に通うんだけど,遅刻だなって時は,新宿でスロットのモーニングに並び,夕方,地元の予備校の自習室で勉強している高校時代の悪友達の所に行って「飲むよ!」って.飲んで,歌って,麻雀打って,ラーメン屋で時間潰して,そのまま地元でモーニングに並ぶ.毎日ではないけど,そんな感じでダラダラと現実から逃げて過ごしていた.翌年の2月初めだった.雀荘で,今日が最後ね!って….ボクしかり皆も2浪だと思っていた.でもボク受かっちゃったんだ.選択肢が主だった.古文は丸ごと直前の予備校の予想問題だった! 帰りの電車の中,解答と照らし合わせる.(ヤバイ!当たっちゃってるよ…受かっちゃったかも…)隣の悪友(ボクこそ…)に言うと,一言「殺すよ!」って….結果は合格してしまった.当時は非難ブーブーだったけど,後々,彼らから受かってくれて良かったって.2浪時代も,あんな生活になっちゃったらって….
 大学は横浜市にあった.ボクの1人暮らしが始まって,テニスサークルに入った.その顔合わせコンパ! お馬鹿キャラ成功だ! 先輩からは「ルー!」と名付けられ,同期とも息が合って直ぐに仲良くなった.そして,ボク自身初めて好きな(様な気がした)女の子がサークル内でできたんだ.でも先輩に取られちゃってて….それ知って,部屋でウィスキー1本を30分位で空けたのを覚えている.友達2人が付き添ってくれていたんだけど,マンションの下まで送って別れた後,そこでゲーゲー吐いたんだ.
 とは言え,丁度その頃,1人の女性と付き合い始めたんだ.前回書いた,高1の時に友達を紹介してくれたボクの中学同級生だ.その夏に彼女はアメリカに留学するのを知っている上で付き合ったのだけど,彼女がホテルを求めて来ても,「夏,行っちゃうんだろう! お前の体,大事にしたいから」って断ったんだ.上辺だけで少しも理由になっていないなって自分でも感じていたけど….単純に怖かったんだ….
 そんなボクだけど,と言うか,だからか,彼女と付き合い始めて,実は仮性包茎の手術を受けていたんだ.彼女,高校時代もアメリカにショートステイしていた.アメリカ人って確か赤ちゃんの時に包茎手術をしていて,皆,むけチン!って聞いた覚えがあって….ジャスト10万円.後日,親父にTELでその事を告げ,費用を会社まで貰いに行ったんだ.親父が,「そんなのペロッとむいときゃイイんだよ!」って….その年末,実家に戻った時,ボクの机の上にコンドーム1ケースが親父から置かれていたんだ.結局セックスには使えなかったけれど…(オナニーに使った(笑),こりゃ楽だ!って(笑)).でも,この手術後に,あの中3の冬場,朝授業前に校庭を全校生徒で走る時間があって,友達3人が「くすぐったい!」って股間を押さえながら走っていた意味がやっと分かったんだ.
 サークルでは(水)(土)と2回練習があって,その後はファミレスなどに寄った後,横浜の行きつけの居酒屋に行ったり,ボクや他の1人暮らしの部屋に集まって飲んだり,麻雀したりしていたけど,毎日飲む訳でも無く,ジュースで麻雀とかファミコンとか連ドラ見たりとかしていた.ボクらの代は,凄い仲が良かったんだ.ボク含め5人が1人暮らしだったから,誰がしかの部屋には集まっていた.親友!って感じたのは,初めてだった.
 そして,その秋,人生初めて女性に告白する日が来たんだ! クラスメイトで可愛くて仲も良い子だった.結果は翌月曜日に答えて貰う事になった.その週末,ボクのサークル含め仲良し4団体で恒例のテニス合宿があった.その間,同期からも先輩からも期待されて,あのドキドキ,ワクワク感….そして返事を貰う.OKだった! 「良し!」って,凄い嬉しかった.デートも楽しかった.原宿に住んでいる先輩にチャリ借りて2人乗りで街を巡って途中でカフェに入ったり,ボクの車(親から借り出してほとんど私物化していた)でクラブに行こうとしたけれど結局辿り着けなかったり,お約束のスポット,湘南平の夜景を見に行ったり,ボクの中では順調だったんだ.自分の12月初めの20歳の誕生日前に童貞を捨てたかった.でもそれは夢に終わった.ボクのだらし無さが原因だろう.初めてちょっと部屋に上げた時,既にガスと電気が止められていて,水道は…蛇口をひねる前にボクが小便をして流したら流れたんだ.OK!って,部屋で誰かと電話していたら彼女から「ねぇ,流れないんだけど…」って….トイレの水の単純なシステム…無知過ぎだった.「ごめん! これ流しといて!」って,とっさに『午後ティミルク』のペットボトルを渡したんだ.その日の別れ際にも「見ないでよ…」って言われちゃって….
 ボクの誕生日当日.食事したりして彼女の家まで送って終わった.勿論,誘いはかけてたけど….ボクは,もう20歳にもなっちゃったし,焦らなくてもイブがあるじゃん! その数日後には彼女の誕生日も!って楽勝気分でいたんだ.イブのプレゼントに友達と関内のティファニーでリングを買ったんだ! それと誕生日もあるからって,もう1品ネックレスか何かを買った覚えがある.ボク自身,ガキの頃から12月ってだけで,誕生日とクリスマスのプレゼントを一緒にされていたけれど….
 イブの日,彼女に補講があって学食で待ち合わせをしていた.ボクは実家から車で向かったんだけど…いつものルートとは違い,ちょっとリッチに首都高を使ったんだけど…途中からピクリとも動かなくなった.普段,混んでも1時間半位なのに,なんと6時間も掛かったんだ.4時間の遅刻…携帯電話もない当時だ.もう帰っちゃったよなぁ,怒っているんだろうなぁ.半ば諦め気分で行くと…いたんだ! 彼女が友達と学食の前の階段で泣きながら座っていた.事情を話して謝り,分かって貰えた.デートは関内でしたが,普段なら30分で行くのに,1時間半だ.帰りに彼女の千葉の家まで送るんだけど,ものすごい睡魔に襲われた.首都高を窓全開でボリューム全開で走ったのを覚えている.それを見て彼女が笑っていたのも.やっと彼女の家に着き,プレゼントを渡したんだ.彼女すっごい驚いて喜んでくれた.帰り道「良し!…良し!」って,嬉しくて仕様がなかった.
 彼女の誕生日が来た.この日に!って強く思っていた.すると彼女からも,お泊りOKって!,デートコース,何処で何を食べたとかは思い出せない.ただ,憶えているのは,惨めな自分の姿だけだ.ベッドインして…,「初めて?」とか聞いちゃって…(ズバリお前!自分だろ!ですよねぇ(笑)).それで,相手のを触っても,下手だから以前に,初めてだから焦っているし,痛がられて….更に,肝心要のボクの息子が起立しないんだ….動揺して「ちょっと待って…」って,1人トイレに駆け込み必死に乳首や陰部を刺激するけど,半立ちのまま勃起してくれないんだ.これには参った.彼女には謝るしかなかった,酒,飲み過ぎたかなぁ,とも.セックスの時には勃起する物だって決め付けていたんだ.翌朝,息子はパンパンに朝立ちしていたけれど….その後,ボクから彼女の体を求める事は無くなって,デートは何回かしたけど,彼女から「もう止めよう?」って言われたんだ.その言葉の意味が,別れよう,の意味だった事は,その場で直ぐに感じ取られた.でも,当時のボクは「えっ?何を?」って….イブの日に彼女が泣きながらボクを待っていてくれていた,あの階段での事だった.ボク自身との彼女との関係…肉欲なんて無くって,やっぱり形式的な感覚だったんだろうなぁ.今,振り返ると…頑張った方じゃん!って….
 そして2年生を迎え,ボクは成績不振の為,これまた形式的な理由で学校のある町に住めば授業も出られるから単位も!って,引っ越したんだ.ここで同じアパートに住んでいたG君と出会い,その冬から彼がやっていたスノーボードをやる様になるんだけれど,このスノーボードで翌年,忘れもしない2月10日,脳挫傷の大事故を起こし,生死をさまよったんだ.そして幸いにも九死に一生を得たボクは,家族,親戚一同,そしてサークルの親友達のボクの命に対する,計り知れない感謝の思いとは裏腹に,これを機に,酒に溺れる道を歩む事になるんだ.その話は次回に話させて貰います.
by aa-sekumi | 2013-03-11 17:27 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)

仲間の体験談—ルーさん

 ボクが『ルー』と呼ばれる様になったのは,大学に入ったH3の春,テニスサークルの顔合わせコンパでだ.声がだみ声でジェスチャーが大きかった為,丁度その頃テレビでブレイクしていたルー大柴に因んでだった.それと同時に憧れの3枚目キャラに自分を染めていったんだ.そっちの方が生き易そうな気がしていたからだ.皆から「ルー! ルーちゃん! ルーさん!」って慕われ,可愛がられた.
 在学中に,飲んだくれる様になるんだけど,何処の店に行っても,ボトルは「ルー様」だったし,中退後に雇って貰った居酒屋でも,そこの常連だった為,呼び名は「ルー」だった.あだ名だけど本名以上の物があった.
 だから,初めてAAでワンディを貰う時も,自然と「ルーです!」って.H17,4月だった.院内ミーティングしか出ていなくて,毎週金土日と外出を出しては,気楽に飲んでいたボクも,退院前に少し位はと思って出たんだ.これっぽっちも止める気はなかったのに.
 この頃の話は,また後にして,ボクが,この病気「性同一性障害」だと認めた時の話からしようと思う.
 その退院後,ボクの生活は金がある内は,勿論飲み屋に足を運んでいたけど,お金も底をついてからは,母がジャリ銭を入れていた空き缶から掻きあさって酒代にしていた.それと,母が腰を痛めていたので,夕食当番をしており,その食材費を朝に貰ってテクテク近所の生協まで歩いて行き,表のベンチで飲んで,夕方,安い食材を買って戻るのが習慣になっていた.夏場はジリジリ照り付ける日射しで肌は真っ黒,汗ダラダラで飲んでいた.一缶ずつ店内と表をピストンするんだ.
 そして,秋の事だった.何時も通りに,夕方,缶を片手に1人でテレビを見る.金八先生の再放送だった.驚いた事に,生徒の中にオカマ役とオナベ役が居たんだ! 酔っ払って見ていたから,経緯は分からないけど,金八先生が女性の保健士さんを教室に連れて来て,この病気「性同一性障害」についての説明を黒板を使ってして貰うシーンだった.クラス皆の偏見を取り除く為だと思うけど,お母さんのお腹の中にいる時の遺伝子の作用についてだったと思う.生まれる前からの….正に変えられないものだった!
 遠い昔から「まさか…ボクは違う…そんな訳はない…」で済ませて生きて来た.「だって彼女もいるし…」って.もうその頃,既に彼女はボクにとって酒代を得る為の入手手段にしかなっていなかったのに….サラ金の返済も幾度となくして貰った.外食先では,彼女がトイレで席を外すと,毎度でバッグに手を入れて財布から抜き取っていた.バレバレだったのに….そんな彼女から,丁度その頃,愛想を尽かされたんだった.「私はアンタのお財布(パンパン!って財布を叩いて)じゃ無いのよ!バッカみたい!もう別れよ!お金も返してよね!」って.もうその時,何時もみたく「違うよ〜愛してるよ〜」って…安〜いお約束の言葉も出て来なかった.
 心身共にボロボロだった.金八さん位で?否!自分の中で自分の真実と向き合わない心の中に,あの金八さんは,ストーンと入ったんだ!「ルー!もう重荷を下ろして良いんだよ.お前のせいでも誰のせいでも無かったんだから」って.性同一性障害,素直にそれを受け入れた気持ちが芽生えたんだ.大量の涙と共に.解放感でとてもスッキリした.
 その晩,母にその事を打ち明けた.「それは辛かったわねぇ」って母.そして父が帰宅して父にも.重たい空気が流れた.ボクも否認していた様に,親父もあれこれとノーマル説を出すが,断念して「もう寝る…」と」2階の寝室に上がっちゃった.ボクが隣の自分の部屋で一服しに上がった時だった.父から,枕越しに「おい,エイズには気を付けろよ」って.「ボク,男性と肉体関係持った事無いから」と言うと,「そうか!」と少し安心した口調が返って来た.父とはその話は,それ以降していない.でも父の「エイズには〜」の言葉に,その年初めのアルコール病棟に続き…この病気の事実まで…って,ジーンと来た.
 ところが,翌日,母にそれをネタに飲み代をせびっていたんだ.お袋に「それとこれとは別です!」ってビシっと切り捨てられた.あんなに長年向き合わずに苦しめられて来た,性同一性障害.認めたは良いけど,次の日には,もうそれを飲み代を得る為の,理由にならない理由にして親を苦しめている自分が情け無くて…でも絶対に酒だけは止めるもんか!って.自分がこの先どうなるのか怖くて仕様が無かった.

 それでは,ボクが幼い頃からの思い当たる話をしようと思う.小2から駅1つ隣の小学校に転校した.その頃は,周りの男子と一緒にスカート捲りとかやっていたんだけど,その年から習い事も始めた.スイミングスクールとピアノ教室だ.ピアノは母が妹をエレクトーン教室に入校させる時に付いて行って,「ボクも〜!」って,だだをこねて入校させて貰った.ボクはのめり込んだ.中学年になると放課後に同じくピアノを習っている女子の部屋に集まって,お茶とかもしていた.
 そして,男子とは…小2の時に近所の空地で基地作りとかしている時に,年下や同じ年の子のパンツを脱がしたりしていた.男子のお尻を見るのが好きだったんだ.中学年の時,スイミングの方でも,最後の着替えの時に,腰にタオルを巻かない派でボクが好きな子のお尻に,何気無く通りぎわに手の甲でピターンと触れたのを覚えている.その時だ!まだ勃起なんて知らなかったボクは,直立している自分の息子にビックリしたんだ.幸い,誰にも見られなくて良かったけど.
 その頃,クラス内でも思い出される.たまに会話の語尾が女言葉になっちゃうんだ.「〜だろ!」って言うつもりが,「〜だわ!」って….周りから「おかまみたい」って笑われた.その内,男と女の中間の意味で「中性」とかって.この頃から周りに対して正義感は強かったけど,自分の事となると上手く主張できなくなっていた.ボク自身も格好悪いって感じていたと思うけど,嘘泣きを使う様になっていた.つばを目に付けるんだ.強い女子が,「誰?泣かしたの!」って男子達を問い詰めるんだけど,あの時のボクの心境….
 そんなボクも,高学年になると,その面では落ち着いて,中学進学.仲良しとテニス部に入った.そしてクラスメイトからオナニーを知るんだ.その夜,ボクの部屋でやった.ネタは何だったか憶えてはいないけど,むっちゃ気持ち良くて,感動したんだ! それから近所のコンビニでエロマンガを立ち読みしてネタにしたりした.同級生に見付かって,適当にごまかしたりもした.その後,ネタは『ボム』の中の『パンツの穴』の投稿欄を読んで想像を膨らませたりしていた.その中でも,興奮したのが,男子3人が部屋の中で,じゃんけんで負けた奴が肛門を見せる,といった馬鹿げたゲームから発展して,アナルセックスしちゃう話だ.それから,水泳の授業の後の着替えで,前はタオルで隠れているけど,後ろが上がっててお尻が丸見えの格好良い男子.これも良くネタにしていた.
 でも中3の時,彼女が出来たんだ.勿論,告白は向こうからだけど.下校は彼女の家まで送って行くんだけど,友達から「俺キスしちゃった!」って聞いて,「よし!ボクも!」って.歩きながら「あのさあ…」までは言えるんだけど,その後がなかなか言い出せない.その内,彼女が怒っちゃって….そこで,やっと言えたんだ,お互い初キッス.帰り道,「よしっ!」って感じはあったけど,それは彼女を想ってたのではなく,単にノルマクリア!みたいな形式的なゲーム感覚だった.
 ところが,その冬だった.12月,多分,勉強しようとかで同級生の男子をボクの部屋に上げる事になった.彼は格好良かったんだけど,突然,彼から「Sちゃん(ボクの彼女)だと思って!」って抱きついて来たんだ! 胸がキューンとする感覚,初めてだった.キスして,直ぐにお互いの股間を触り合って….2回目は,ボクが夜,彼の家のブロック塀から2階の彼の部屋に侵入して….それからは,夜,小学校の公衆便所とかも良く使った,盛り上がった2人だったけど,受験も近くなり,自然と終わった.
 そして,高校入学.男子校だった(笑).高校は,自分の中学校からは離れた地区にした.なるべくボクの過去を知らない人達の中で,自分のイメチェンを図りたかったんだ,部活では硬式テニスに没頭した.
 1年生の秋,中学同級生の女子から「紹介したい子がいるから会って!」って言われ,気は乗らないけど,デートする事になったんだ.行き先は,初対面なのに,いきなりディズニーランド! お互い当日の服装などを前日に知らせてだ.当日は長い1日だった.疲れて家に帰って同級生にTELして断ったんだ.可愛い娘だった…でも,ボクの気持ちが少しも盛り上がらないんだ.それにしても早過ぎでしょう.相手の娘も傷付いたと思う.
 バレンタインデーでも,色々な女性から,チョコレートとラブレターを貰うんだけど,誰とも付き合わなかった.同級生からは「お前,女に興味ある?」って….今,思えば,イコール「お前,ホモじゃない?」って事だよな.正直,女性に興味なんて無かったけど,その度に「何だよ〜あるよ〜!あの娘はタイプじゃないんだよ!」って答えていた.(まさか…俺ホモじゃ無いよなぁ…まさか…)って思ったのも,この頃くらいからかな.でも自分に対して,面倒臭そうな事には何時も真剣に向き合わず,まあ,何とかなるだろう…で済ませる生き方からは離れられなかった.
by aa-sekumi | 2013-01-21 09:12 | セクシュアルマイノリティ | Comments(0)