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アルコール依存症からの回復(体験談その6)

AAセクシュアルマイノリティのメンバー、Mさんの体験談です。

『24年前に、親友と三角関係になったことから、酒に溺れるようになりました。
私と親友の彼とが、同じ一人の女性を愛していて、同時に私は彼のことをも愛しているとわかった時、その現実が受け容れられずに溺れるように飲むようになりました。
私は、もうどうしようもなく、彼を愛していました。
自分が酒に溺れていることは、はじめからわかっていました。
明らかに飲み方が変わって、朝からバーボンのボトルをつかんでラッパ飲みしているのだから、気づかないほうがおかしい。
それでも、素面でいることに耐えられませんでした。
酔って狂った私は、愚かなことを繰り返しました。
今で言う、ストーカーのようなことをやるようになりました。
それも、彼女に対してよりも、彼を酷く傷つけることを繰り返しました。
落ち着いて考えれば、自分が身を引いたほうがよいことは明らかでした。
でも、私の心はどうしてもそれを受け容れられなかった。

ある時、もう彼にはかかわるまいと思い、連絡を絶ったことがありました。
でも、同じころに彼も彼女に会わないようにしていることがわかって、いてもたってもいられなくなった私は、彼のアパートに押しかけました。
あいにく、彼は不在だったので、私は玄関先で彼を待ちました。
玄関先で6時間待ち続けました。
彼が帰宅すると、私はアパートに上がりこんで、彼女をデートに誘えと迫りました。
私のせいで、彼が自分の思いを遂げずにいるということが耐えられませんでした。
これ自体、私の勝手な思い込みにもかかわらず、酔って狂った私は彼に迫りました。
もちろん、彼は拒みます。
私は、台所の包丁をとり、自分の腕に突き立てました。
彼に包丁を突きつけても、言うことをきかないことはわかっていました。
でも、私が血を流せば言うことを聞くだろう。
私の目の前で、彼は彼女に電話を掛け、デートの約束をしました。
電話が終わって、ようやく彼は私から包丁を取り上げました。

その晩は、彼のアパートに泊まりました。
夏だったので、彼は上半身裸で寝ていました。
朝になって、彼の素肌に触れると、とても冷たかった。
私は、思わず彼に抱きつき、彼も腕をまわして私を抱いてくれました。
しばらくそうして抱き合った後、彼は「もう、いいだろう」と言い、私は彼から離れました。
これが、私と彼の唯一の性的な接触でした。

2人がデートの約束をしたその日、私は朝から飲んでいました。
私は2人が会う時間と場所を正確に知っていました。
もちろん、私が出て行かないほうがよいことは、考えるまでもなかった。
でも私は、2人が入る映画館をよく知っていて、そのはす向かいのビルの3階の階段の窓からは、映画館の入り口がよく見えることも知っていた。
2人が待ち合わせをする駅には、反対側にも小さな改札口があり、先回りしてそちらの改札口を出て、ビルの3階で待ち伏せれば、2人に知られずにすむ。
もちろん、そんなことはしないほうがいい。
それでも、飲みながらさんざん逡巡して、結局私は家を出ました。
ところが、逡巡したために、かなり出遅れてしまった。
このまま反対側の改札口を出たのでは時間に間に合わない。
迷った挙句、私は彼が待つ広いほうの改札口を出ることにしました。

電車から降りた私は泥酔状態で、よく歩けたものだと思います。
体は、大きく左右に揺れ、まるで駅全体が揺れているようだった。
その左右に揺れる視界の端に、改札口に立つ彼の姿が見えました。
私はその改札口を通り抜け、予定のビルの3階で待ちました。
2人が映画館に入るのを確かめると、その日は公園で大の字になって、泣きながら飲みました。

その後も、私は何度か彼と会い続けるのですが、彼はこの時の事を一度も口に出しませんでした。
その後も、私は彼を傷つけるのですが、彼は一度も私を責めませんでした。
私には、なによりそれが辛かった。
私はいつも彼の前で、見せ付けるように、飲んだくれていました。

2年ほどで、3人はばらばらになり、彼は東京を離れました。
独り残った私は、このまま酒に溺れて死んでいくつもりでした。
飲んでいたころ、私は毎日正しいことをしているつもりでした。
私はこうやって、自分を罰しているのだから、それでいいのだと。
こうやって飲み続ければ必ず死ねるのだから。
私の父はやはりアルコールに負けた人間で、私が10歳の時に精神病院の個室(外から鍵のかかる部屋)で亡くなりました。
39歳でした。
私はアル中が飲み続ければ、必ず死ぬことを知っていました。
だから、自分は決して父の年齢を超えないだろうと思っていました。

私はもう誰ともかかわらないことにしました。
誰ともかかわりにならなければ、誰も傷つけないし、自分が傷つくこともない。
もう男性も女性も愛さない。
愛なんて関係ないと思いました。
私の知っている愛は、残酷で、自分勝手で、心を狂わせるから。
なにより、性的な欲求はあっても、もう心がいかない。

それでも、20年かかっても死ねませんでした。
5年前、酒に溺れて20年目に、アルコールが私に追いついて、本格的に苦しくなったら、私は根をあげました。
完全な身体依存になっていました。
酒を飲む精神的な理由、自分を罰することなど吹き飛んで、目が覚めたらバーボンのボトルをつかんで流し込むようにラッパ飲みするようになりました。
典型的な連続飲酒発作です。
目が開いている間は、何も考えることもなくバーボンを流し込んでいました。
とてつもない飲酒欲求で、単に体がアルコールを求めるので流し込みました。
でもそんな飲み方をしていると、胃が受け付けなくなります。
バーボンを飲み込んだとたん、噴水のように噴き出してしまうことを繰り返しました。
それでも、飲み続ける。
飲めば飲むほど苦しいのに、飲まずにはいられない。
おまけに私のブラックアウト(記憶欠如)は4日続きます。
金曜日にバーボンをあおった次の瞬間、火曜日の朝になっていました。
ですから、私は5年前のことは1週間のうち3日しか覚えていません。
おまけに私は、ブラックアウトすると別人格が出ます。
目が覚めると、私はいつも血を流していて、部屋の中は壊れている。
最後には部屋の中は台風が通り抜けたような惨状となりました。
そんな中で、茫然自失のていで飲み続けました。
本当に、こんなに苦しいのにまだ死ねないと思いました。
20年かかって、はじめて酒をやめたいと思いました。
同時に、もう手遅れであることもわかっていました。
酒をやめたくても、自分の力ではもうどうにもならない。

そうして4年前に精神病院に入院しました。
γGTP(肝臓の破壊を表す数値、正常値は2桁)は2000になっていました。
入院前の1年足らずで、体重は16Kg減っていました。
入院予定日の朝も飲み続け、結局入院できたのは予定日の10日後でした。
入院した精神病院でなんとかしてもらおうと思いましたが、結局どうにもなりませんでした。
病棟にいる間は飲酒欲求がなかったのですが、病院を一歩出るととてつもない飲酒欲求に襲われました。
どうしても我慢できずに、外泊のたびに、泣きながらバーボンを飲みました。
「どうしてこうなるんだ?どうして止まらないんだ?」と言いながら飲みました。
入院して3ヶ月たった時、主治医から「もう病院でできることはないので退院してください」と言われました。
病院を出れば、飲むとわかっていたので、途方にくれました。
でも、今考えれば主治医の言葉はとても正しい。
私は、完全に酒をやめたいと決心して入院していました。
院内の勉強会は、まじめに参加して、アルコール依存症の知識は、みんな詰め込みました。
あれほど酷い症状が出ていたのに、内臓のダメージは少なかったので、3ヶ月の入院で身体の症状は回復しました。
だから、もう病院でできることはなかったのです。
あと病院にできることは、私を閉じ込めておくことくらいです。
私が入院した病院には、そうゆう患者さんが何人もいました。
病院に10年、20年と住んでいる患者さんがいました。
私は、そんなふうにはなりたくなかった。

それで病棟の公衆電話からAAのセントラルオフィスに電話して、私の病室あてに資料を送ってもらいました。
東京都内のミーティング案内図を見て、1週間の予定(毎日通うAAミーティング)を立ててから退院しました。
退院したその日から、毎日ミーティングに通いました。
そのころ私は毎日泣いていました。
1日に3時間も4時間も泣き続けました。
なにより酒を飲むのが怖かったし、生きることもどうにもなっていなかったから。
そうして毎日ミーティングに通うことで、私の酒は止まりました。
不思議なことに、飲酒欲求には襲われなくなりました。
それでも、やはり生きることはどうにもなっていなくて、私は泣き続けました。

退院して1ヶ月ほどで、AAセクシュアルマイノリティのミーティングに参加するようになりました。
正直言って、私にはためらいがあった。
私はゲイとしての人生を歩んできたわけではない。
それでも、かつて同性を狂ったほどに愛し、私のアルコールの問題はセクシュアリティの問題と分かちがたいのに、普通のAAミーティングでは、それを話すことができませんでした。
AAセクシュアリティマイノリティのミーティングに参加し、そこのメンバーに自分のことを話して相談すると、受け容れて貰えました。
それでも、私の心の病み方は酷く、2年以上苦しむことになりました。
長く苦しみながらも、AAプログラム(12のステップ)を進めることで、私は新しい人生を生きられるようになりました。
あいにくステップ4、5を経ても、罪を赦されたという感覚は得られませんでした。
それでも、私の罪は消えなくとも、問題は解決しなくとも、傷は癒えるのだということがわかりました。
ずっと、そんなことはあり得ないと22年間思いつめてきたのだけれど。
ようやく、私の心からは酒を飲む理由が取り除かれました。

そして今、私には愛しているひとがいます。
もう誰も愛さないと頑なになっていた私が、心に愛を持つようになりました。
その愛も、受け容れられるかどうかもわからないし、この先私自身がどうなるのかもわかりません。
私は、同じ過ちは繰り返したくない。
それでも、私はもう恐れなくなりました。
もう、泣くこともありません。
結果はすべてハイアーパワーに委ねて生きることにしたのだから、私はもう恐れなくなりました。
たとえ現実は、辛く、厳しくとも、私の心はきっと乗り越えることができる。
私は、そう思えるようになったのだから、それ以上望むものは、もうありません。』



今月のミーティング案内です。
05月21日木曜日 1900~2130時
新宿2丁目 コミュニティセンターakta
http://www.rainbowring.org/akta/

ミーティングではアルコールをやめて生きる選択をした、セクシュアルマイノリティのAAメンバーがそれぞれの体験を話します。
アルコールの問題に関心のあるセクシュアルマイノリティ(レズビアン/ゲイ/バイセクシュアル/トランスジェンダーなど)の方ならば、どなたでもご参加いただけます。

ミーティングの形式は「言いっぱなし/聞きっぱなし」です。一人が自分の話をしている間、他の参加者はひたすら黙って聞いています。自分の話をしたくなければパスしてもかまいません。
ミーティングで話されたことは、一切秘密です。外部に漏れることはありません。

ミーティングのはじめに「アルコホーリクス・アノニマス」(通称:ビッグブック)という本の一節を輪読します。ビッグブックをお持ちでない方のために、貸し出し用の本の用意もあります。

参加費もいりません。
1900時に間に合わなくてもかまいません。
本名を明かす必要もありません(メンバーはAAだけで使う名前を名乗ります ネットのハンドル・ネームのようなものです)。
お気軽においでください。

これからも、ブログにメンバーの体験談を掲載します。
なお、体験談はすべて個人の体験/意見であり、AA全体を代表する意見でも、AAセクシュアルマイノリティのグループを代表する意見でもありません(AAメンバーの話はすべてそうです)。
ブログではメンバーの体験談に対する、みなさんのご意見/ご感想をお待ちしています。
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by aa-sekumi | 2009-05-16 14:10 | Comments(0)