人気ブログランキング |

<   2009年 10月 ( 2 )   > この月の画像一覧

アルコール依存症からの回復(体験談その7)

AAセクシュアルマイノリティのメンバー、Kさんの体験談です。

『はじめまして。
僕は、アルコール依存症のKです。
アルコール依存症なんですけど、精神病院を退院して1年と7ヶ月、僕はお酒を飲んでいません。
この文章は、1年の記念に書こうと思っていたのですが、それから7ヶ月、ずるずると先延ばしにしていました。
それも自分の欠点のひとつなのだと受け入れて、でも、今はお酒に逃げていないから、1年の手記は無かった事にしようとせずにちゃんと書こうと、ふと思いました。

僕は今25歳です。
精神病院に入院し、AAにつながったのは、23歳の時でした。

「僕は、とてつもなく重いものを背負っていて、けど、僕はそこからの抜け道を発見した!!いままでの不安はただの思い過ごしだったのかも!」

それが僕が高校生の時に、罪悪感と共に酒を口にして感じた時に味わった感覚です。
小さい頃、親戚にからかわれて酒を口にした時は、ひどくまずい味がして、こんなものにハマる大人の気持ちがわからないと思ったのに、15歳の自分は、拒否反応もなく酒が飲めている。
自然にそうなった事に僕は少し驚いたのを覚えています。
それから、僕は新しい世界を得たんです。
誰にも邪魔されない、誰も入ってこない、自分だけの秘密基地を見つけた感覚。
なにが起こっても、そこに逃げれば僕は大丈夫。
そう思えました。
だから神聖な儀式のように、定期的に一人で自分の部屋にこもって、酔いの世界にぴったりな音楽をかけて、お香を炊いたり、厭世的な本を読んだりしながら酒を飲みました。
酔いを感じるとそれに浸って、あの家や家族、学校、将来、そのどれも入り込めない安全な場所で僕は眠りました。

美大を目指していた僕は、受験に失敗して、予備校に通うために親元を離れて一人暮らしを始めました。
その日から毎日飲むようになり、僕はすぐに予備校に通えなくなりました。
一日のシめのつもりで飲む酒も、一旦飲みだすと潰れるまで止まらなくて、結局朝まで酒を飲んで。
僕はその現実から逃げたくて、予備校や日本の美大受験をやめ留学をしようと決めました。
お金をためなければと、バイトをはじめても、長続きしなくて、数ヶ月後には新宿2丁目の売り専で身体を売りながら、店で客の酒で泥酔を繰り返す毎日を送るようになっていました。
家にも帰れず発展場で寝るようにもなりました。
その時は、期限付きの堕落だからと、その状況を受け入れる事をしませんでした。
親に申し訳ないという罪悪感と矛盾して、僕の酒も、生活も、その思いとは正反対のものになっていきました。親に申し訳ないと感じても、自分自身を傷つけているという感覚がなかったんです。

その年が終わる頃、身体を売ってもその金は酒や服や遊び代に消えていて、引っ越しの段ボール代も親にだしてもらいました。
その惨めさに気づいて、次の年には、意志の力でなんとか学校や将来や自分の良心と酔いを両立させて、毎日を生きました。
飲むと止まらないのはわかっていたから、一日絶対に500mlの発泡酒を2本だけにする。
そう固く決めて、学校が終わると真っ先に家に帰り酒をのみました。
その努力が報われて、僕はトップの成績でその学校を卒業して、奨学金をもらってイギリスの大学に入学することができました。
その酒をコントロールできた一年は自信になりました。
「真剣に止めようと思えばいつでもやめられるのだから」
と自分にいい聞かせて、酒に対しての不安をなだめながらまた昔のように飲むようになりました。
"自己実現"や"夢"。
そういう名目で、今の自分と向き合う事から逃げて、抵抗することなく酒の力に引きずられていった頃です。
酒が原因で起こるいろんな出来事に蓋をして、目の前の酒を機械的に飲んで、酔いの世界に逃げ続けていました。
高い授業料や生活費を思うと、頑張らなければと思うけれど、酒が切れると強烈な不安感に襲われるようになりました。
学校にはほとんど行かず、僕はロンドンで一人こもって毎日酒を飲んでいました。
英語にも、出会いにも、新しい体験にたいしても、僕は意欲を感じなくなりました。
将来成功して世界に自分をみとめさせさえすれば、それでいい。
そう思いながら、近所の酒屋を何件もはしごする毎日。
仕送りはすぐになくなり、万が一のために、ともっていたクレジットカードを当たり前のように使い、親にいくら請求がいっているのか。
自分は毎月いくらお金をつかっているのか。
考えるだけで怖くなって、また酒を飲む。
公共料金や家賃が滞るようになり、なんどかカードの限度額を超えてカードが使えなくなり、また嘘をついて親に仕送りを頼み、月が変わるとまたカードで酒を買って飲んでしまう。
やっとの思いで卒展を作った時、そこで気づいたら飲んでいるうちに4年が過ぎてしまった事を後悔しました。

卒業を前にインターネットでアルコール依存症という病気を調べ、断酒を決意しました。
けど、酒を断つと、目の前に差し出された現実に絶望して、世界とはもう二度と繋がれないような孤独が襲うんです。
気づいたら本当に酒が止められない自分になっている事に愕然としました。
逃げるように日本に帰りました。
親は卒業をとても喜んでいました。
だから、僕はただ4年間酒を飲んでいただけな事にいたたまれない思いでした。
また本気で断酒を決意して、日本の美術大学の大学院を受験しようと決めました。
上野の校舎に一次試験の合格発表を見にいくと、僕は掲示板に自分の受験番号を見つけました。
親に電話をすると、親はそれをまた喜んでくれていました。
4年間、苦労してお金をだしたかいがあった。
そう言ってくれました。
僕は一次試験の後に自然に酒を飲み始めていました。
二次の面接の前の晩に酒を切ると、面接の当日に禁断症状が襲ってきました。
14人の面接官が、揃って僕を否定しているような感覚。
その試験場をでると駅のコンビにで酒を買い、あとはやけ酒をしたまま、また連続飲酒に入りました。
その晩、僕の22年間の嘘を信じて、僕はダメ人間だということを知らない父は、僕にウィスキーをくれました。本当に惨めでした。
"夢"や"自己実現"。
酒が抜けると、酒と一緒に目指していたはずの物は、いつのまにかとっくの昔に置き去りにされていて、自分がまったく別なところに立っている事に気づいてしまう。
それはもう、すごく遠くにあって、ずいぶん間違った道を走ってきてしまったみたいで、もう戻れない。
戻ってそこからやり直す気力はない。
このままじゃダメだとわかっているのに、「まだ大丈夫。きっとこの才能で、そのうち全部挽回できる」そういう安らかな気持ちが一瞬して、僕はまた酒を買いに走っている。
それから何ヶ月も、朝だったり昼だったり、始まりもわからないまま酒を飲んで、眠りについて、起きたらまた酒をまた飲む生活をおくりました。
酒はやめられない。
きっとこのまま何年もこんな生活が続くのだろう。
親につく嘘がなくなっていきました。
「つきあっている彼女と結婚する」「デザイン会社から内定がもらえた」「シュウカツのために金がいる」思いつきの嘘で自分の今にアリバイを作って、それから親の金で飲み続けました。
そのうちに、もう生きていたくないと真剣に死を考えるようになりました。
それでも、いざとなったら死ねばいいから、今日は酒を飲もう。
そういう気持ちになって、死ぬ方法を調べながら酒を飲みました。
自分は思い通りに死ねるという幻想がアル中の僕の最後の保険のように思えました。
「練炭」「クスリ」「飛び降り」「首つり」「飛び込み」ネットで調べながら、死んだあと自分がゲイだとばれないように、ゲイビデオや雑誌を処分したり。
せめて自分が生きていた事を残したい。
とっくにどっかに消えてしまった将来の計画を、死んだあと誰かに叶えてもらおう。
僕の詩や絵や作品を僕が死んだ後に、親が世界に発表して、それが高く評価されて、高く売れて、僕が生まれてきたことで作った負債を埋めてくれる。
酔うとそんな風に思えました。
親は僕の死で自分を責めるだろうか。
「大丈夫。あなたたちの所為じゃない」
そういう遺書を書きました。
「もっと早く死ねば、無駄なお金を使わせないですんだのに、死ぬのが遅くなってごめん」
そう書き添えて。

なんで生まれてきたんだろう。
僕の人生はなんだったんだろう。
何にもできないまま、終わってしまった。
それで、僕は首つりが一番お金がかからなくて確実な方法だという文章を発見しました。
家の柱に布を固く結んで、台を用意して、僕はシミュレーションを繰り返しました。
そうすることで恐怖を克服できると思ったから。
そうすることで、毎日酒を飲んでしまう自分にも死という解決法があると確認したかったんです。
どんどん追いつめられていきました。
「若いんだから、いくらでもやり直せる」
そのコトバ程僕をムカつかせるものはありませんでした。
だって、酒が止められない自分が、これからやり直せるわけがないし、どんどん落ちていくだけだから。
ここから抜け出せないんだから。
ある晩、紙パックのウィスキーを飲み干して、僕は今日死のうと決めました。
台を少しずつずらすと、どんどん圧迫されて苦しくなって、目が痛くなって、頭が熱くなりました。白と赤。
暑くて黒い。
それに寒い。
いざとなったら、台が蹴れませんでした。
何回決心を固くしても、僕は、足の指で台を戻してしまうんです。
怖い。
死にたくない。
きっと死んだら、何も無い。
それはひたすら真空で、そこには時間も空間もない。
しばらく咳き込みながら、僕は、死ねないかもしれない。
その現実に気づいてしまったんです。
本気で焦りました。
どうしよう。
本当にどうしよう。
生きることも死ぬ事もできない。

それからはとても早かったです。
もしかしたら、それはこころの底からの祈りだったのかもしれない。
姉に連絡をして、親にばれないように心療内科に通院をしました。
姉から連絡があり親に僕の酒の問題がばれました。
全ての嘘がばれてしまった気がして、僕は親と顔を合わせる事ができませんでした。
安定剤を大量に飲んで、我慢しながら酒を止め、限界になると脳が切り替わって酒を買って飲んで、それでもまた力をふりしぼって酒を我慢して。
1週間目に睡眠剤を全部飲んで安定剤も全部飲んだ後にまた脳が切り替わって、酒を買いに出かけた時に、僕は交差点で意識を失って、事故を起こしました。
妹の中学校のころのジャージに祖母のサンダルをはいた僕は警官に囲まれて、それでも朦朧としていて、赤い光とココに息を吐いてといわれビニールを口にあてられた感覚だけがリアルでした。
父と母が慌てて駆けつけて、僕は酒は飲んでいなかったからそのまま家に戻されました。
それで、僕は精神病院に入院しました。

ここから抜け出したい。
そういう思いだけで僕はAAのミーティングを自分で調べて足を運びました。
自分の意志では死ぬこともできない。
生きるしか無い。
僕は他に生きる方法が思いつかなかったから、AAにすがりました。
若い仲間との出会い。
ゲイの仲間との出会い。
歳のはなれた仲間たちの話。
そして12のステップとの出会い。

この手記を書いていて、改めて不思議に感じます。
あれから2年もたたない今、自分の事を回想しているのに、何だか別な人の過去を記録しているような気持ちになるからです。
飲んでいた頃、自分が何かに取り憑かれていたような、そういう感覚です。
僕はAAにきて、このプログラムに取り組んで、やっとスタートラインに立てたような気がするんです。
ずっと、どこからはじめていいのかわからなかったんです。
今いる場所からしか始められないっていう事がわからなかったから、ずっともがいて苦しんで。
でも、当たり前だけど、どんな時も「ここ」からしか始められないんですよね。
けど、「ここ」がわかれば始められる。
そう思えるようになったんです。
だから、お酒はもう必要なくなったんです。
今自分は、生まれてきてよかった。
本気でそう思えていて。
だから、僕は、親にもまわりの人たちにも、できるかぎりの償いがしたいと思っています。

以前の僕はやっぱり、どうして自分が酒に対して、こんなにも無力になってしまうのか、納得ができる理由が欲しかったんです。
最悪の状況であっても、僕は自分がかわいくて、自分を楽にさせてくれる飲む理由が欲しかったから。
父がアルコール依存症だから。
最悪の子供時代を過ごしたから。
身体を売ったから。
こんな時代だから。
この世の中の人間は自分勝手で汚くて、僕を傷つける存在だから。
僕がゲイだから。
ゲイがこの社会でそれほど受け入れられていないから。
あるいはそうかもしれません。
けれど、今、僕は、「それがこの病気なんだ」と、そう信じています。

自分で決めたわけでも選んだわけでもないけど、僕にはこの「病気」が与えられたみたいです。
そしてその解決も。
飲むのも止まらないのも、止めてもまた飲むのも、酒を飲むためなら、大切な人さえどうしようもなく傷つけてしまうのも「アルコール依存症」という病気なんだと思います。
でも、生きづらさや背負っている重荷の多くは、自分に問題があって、自分が作り出しているものだと気づく事ができました。
だから、それは変えていけると信じています。
どんなに僕が世界を納得させられるくらい、誰かのセイにすることに成功できたとしても、世界中の人が「そんな理由があるんだったら、そんなに傷つけられたんだったら、飲む気持ちもわかるよ」と言ってくれたとしても、飲んで死ぬのは"その人たち"じゃなくて"自分"なんですよね。
AAのプログラムに取り組むなかで、今僕には"自分"という感覚があります。
だから、僕は、生きたいです。
そのためには、AAのプログラムが僕の場合は必要なんです。
長くなりましたが、一人のアルコール依存症者の、一つの回復のお話でした。』


ミーティングではアルコールをやめて生きる選択をした、セクシュアルマイノリティのAAメンバーがそれぞれの体験を話します。
アルコールの問題に関心のあるセクシュアルマイノリティ(レズビアン/ゲイ/バイセクシュアル/トランスジェンダーなど)の方ならば、どなたでもご参加いただけます。

ミーティングの形式は「言いっぱなし/聞きっぱなし」です。一人が自分の話をしている間、他の参加者はひたすら黙って聞いています。自分の話をしたくなければパスしてもかまいません。
ミーティングで話されたことは、一切秘密です。外部に漏れることはありません。

ミーティングのはじめに「アルコホーリクス・アノニマス」(通称:ビッグブック)という本の一節を輪読します。ビッグブックをお持ちでない方のために、貸し出し用の本の用意もあります。

参加費もいりません。
1900時に間に合わなくてもかまいません。
本名を明かす必要もありません(メンバーはAAだけで使う名前を名乗ります ネットのハンドル・ネームのようなものです)。
お気軽においでください。

これからも、ブログにメンバーの体験談を掲載します。
なお、体験談はすべて個人の体験/意見であり、AA全体を代表する意見でも、AAセクシュアルマイノリティのグループを代表する意見でもありません(AAメンバーの話はすべてそうです)。
ブログではメンバーの体験談に対する、みなさんのご意見/ご感想をお待ちしています。
TrackbackやCommentsを自由に書き込んでください。
by aa-sekumi | 2009-10-25 19:26 | ゲイ・レズビアン

小さなお祈り

AAメンバーが日常的に唱えるお祈りに「小さなお祈り」(The Serenity Prayer:「平安の祈り」と訳されることも多い)があります。

神様、私にお与えください
God grant me the serenity

自分に変えられないものを、受け容れる落ち着きを
To accept the things I can not change;

変えられるものは、変えてゆく勇気を
Courage to change the things I can;

そして、二つのものを見分ける賢さを
And wisdom to know the difference.

多くのAAミーティングで、ミーティングの終わりに、この「小さなお祈り」を唱えます。
ミーティング・ハンドブックにも引用されています。

このお祈りは、もともと1934年にラインホルド・ニーバーという神学者が唱えたのが始まりと言われていますが、宗教的なお祈りというよりも、古くからの人々の知恵を凝縮したようなものです。

第2次大戦中には「小さなお祈り」の書かれたカードが米軍兵士に配られたともいいますし、現代でもアメリカでは、どんな宗教の人でも無宗教の人でも知っているお祈りです。

アメリカで育った宇多田ヒカルの歌「Wait & See ~リスク~」の歌詞にも、自然に使われています。

AAは宗教団体ではありませんし、「小さなお祈り」も、その出自はAAとは関連がありません(AAの創設は1935年)。
ですが初期のAAメンバーは、この「小さなお祈り」に接して

「これは自分たち(アルコール依存症者)の祈りだ」

と感じたのでしょう。
現在ではAAだけでなく、AAと同じように12ステップ・プログラムを用いた様々な自助グループで「小さなお祈り」を唱えます。

実際、ブログ担当者も日々の生活のなかで、自然に「小さなお祈り」を唱えます。
もっとも、初めからそうだったわけではありません。
私が「祈る」ことの意味に気づいたのは、ミーティングに通い始めて1年ほど経った時のことでした。
「祈り」というテーマのミーティングで、ある仲間の話を聞いていて、自分も子供のころ「母が死なないように、妹が死なないように」と祈っていたことを思い出しました。

「子供の祈りほど真摯なものはない。子供ほど無力なものはないから」

と自分で話してみて、無力な人は自然に祈るのだと、気づきました。
本当に無力な人は、ほかに何も、どうすることもできないから自然に祈るのだと。

アルコールを止めるためのステップ1は、自分の無力を認めることです。
ですからそれ以来、私は「もっと祈らなきゃ」と思い始めました。
でも「祈らなきゃ」と思ったところで、祈ることなどできません。
ところが、ステップ4、5を経ると、身近に神様を感じるようになって、自然に祈るようになりました。
今では、1日に何度も自然に「小さなお祈り」を祈るようになりました(特に勤務中にです)。


今月のミーティング案内です。
10月15日木曜日 1900~2130時
新宿2丁目 コミュニティセンターakta
http://www.rainbowring.org/akta/

ミーティングではアルコールをやめて生きる選択をした、セクシュアルマイノリティのAAメンバーがそれぞれの体験を話します。
アルコールの問題に関心のあるセクシュアルマイノリティ(レズビアン/ゲイ/バイセクシュアル/トランスジェンダーなど)の方ならば、どなたでもご参加いただけます。


ブログでは、みなさんのご意見/ご感想をお待ちしています。
TrackbackやCommentsを自由に書き込んでください。
by aa-sekumi | 2009-10-13 22:19 | アルコール依存症 | Comments(0)