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アルコール依存症からの回復の体験談

一人のセクシュアルマイノリティのAAメンバーの体験談です。

北関東の田舎町に生まれた。
実家は、自営業をしていて、僕は長男だった。
父は、僕が小さい時に、昼も夜も酒を飲むようになり、働かなくなった。
祖父は早めに夕飯を済ませて、部屋にこもり酒を飲んでいた。
姉と妹と母と祖母。
僕は、オンナに囲まれて育った。

自意識に縛られる前は、自分の感性に従って、自由に遊んでいた。
オンナの子とばかり遊んでいたみたいだし、写真のポーズも、どことなくどっかのアイドルを気取ったみたいなものだった。

父の酒がヒドくなり、僕は僕で、まわりから、オンナっぽさを指摘されるようになり、
なんとなくその頃から、僕は自分の振る舞いは、絶えずチェックしなければならないものだという感覚ができあがった。
常に自分を監視して、少しでもオカマっぽくなったら、矯正する。
そうしなければならないものなのだと思うようになった。
自由に自分を解放して、それが楽しければ楽しい程、
素に戻った自分のオンナらしさを指摘されると、絶望した。
楽しんでいた自分を、愚かに感じた。

自分の恋愛や、趣味や趣向がいちいちシリアスでなかった頃、
僕はやっぱり、ごく自然に男に反応した。
団地に暮らす、サラリーマンの核家族が僕の憧れで、
チノパンをはいた若い父親を見ると、羨ましく、あんなお父さんが欲しいと思い、すぐその後に、なんとなく欲情した。
男性の教師が苦手で、妙に緊張して、ほかの男子達のようにうまく彼らと接することができなかった。
黒板の下の方に文字を書く時に、かがんだ男性教師の下半身に、なんとなくエロティックなものを感じた。

まわりの同級生達が、すこしずつ男になっていくに従って、僕は彼らが怖くなった。オンナになっていく女子達も、少しずつ怖くなった。
オンナに欲情しない自分が、劣っているように感じたし、オトコとしてオンナと接する事ができない自分を弱くて情けない人間だと思った。

いい成績をとっても、いい高校に入っても、絶対的な劣等感が僕の中心には絶えずあった。
恋愛やセックスが、遠い話ではなく、ありふれた身近な話題になってくると、僕は強い焦りを感じた。
漠然とオトコに反応していたけれど、恋愛の対象やセックスの対象は、オンナでなければならないと思った。じゃないと、周りの子に、負けを認めた事になる。本気でそう思った。
けれど、友達にエロ本を借りて、どんなに女の子の胸やあそこで勃起しようとしても、ちらっと写った男優のケツに反応してしまう。ビデオ屋のAVコーナーにこっそり入っても、同級生達は、ごく自然に単体をはるAV女優達のカオやスタイルに焦点あてているなか、僕はジャケットに見きれた男優がデブなオヤジでないものを一生懸命さがしていた。
オナニーをしていて、無意識に競パンをはいた大学生でイッた時は、凄まじい罪悪感を感じた。
それから、自分を矯正しようとして、何人かの女の子を傷つけた。
ノンケなフリをして過ごす自分はいつも嘘をついている気がしていて、嘘つきな自分は嫌だったから、「嘘」を「本当」にしたかった。
だから、僕がなによりも欲しかったのは、女の子とセックスしたという事実だけだった。(結局無理だったけれど。)
自分が、はじめてゲイ雑誌を買ったとき、僕は母親を裏切った気分だった。
とても落ち込んだ。
そのとき付き合っていた彼女に悪い事をしているとは、一切思わなかった。
自分は辛くて、可哀想な人間だから、人を傷つけても罪にはならないという、歪んだ感覚が僕にはあった。

そんな中で、僕ははじめて酒を飲んだ。
酔うと、僕は、オンナの子にたいして、「オトコ」な振る舞いができた。
オトコに対して、「より優位なオトコ」になれた。
ゲイである事が、ギャクみたいに感じられた。
自分を監視し続ける、揺るぎない何かから、解放された気がした。

(ただ、そういう心理的な感覚ももちろんあったけど、
僕の場合、なんというか、ほとんど自動的に身体が酒の酔いにのめり込んでいた気がする。僕の脳には、酒を飲むと、走り出す何かがあった。)

飲んでいると、いろんな事が冗談になった。
僕は、毎日、映画なのか小説なのか、ドラマなのか、漫画なのか、
とにかく、どっかでフィクションのような余裕を自分の人生に感じられた。
だから、笑ってすごせた。
二丁目に行けば、それが自分のありのままの姿だとは思っていないオネエ言葉を使い、カミングアウトした女友達の前では、「オカマ」を演じ、
そういう事に疲れたらもっと酒を飲んだ。浪費して生活ができなくなっても、ギャグのように思う事もできたし、傷ついても、なんとなくそういうシナリオだったのだと思えた。
そういう経験が、僕をオトナにしていくんだと思っていた。とらわれから解放されていくのは、僕が成長しているからなのだと錯覚していた。

リアルな人生を生きるのが怖くて酒を飲み、けれど酔いの中で僕が死ぬ程ほしかったのは、結局、生きる事に対する、僕が僕である事に対する、リアリティーだったのだと思う。
同じ時間軸でも、それを走馬灯のように感じる事ができる酒は、常に僕の脳を満たしていて、それは、孤独だった。
猛烈に寂しかったし、手を伸ばしても、誰とも繋がらないような絶望感で一杯だった。そして、現実に、僕は底をついた。
僕が、作り上げようとしてきた、全世界を感動の渦に巻き込むはずの映画は、盛り上がりもせずに終わってしまった。
そんな感じだった。

現実は、どうにもなってないのに、とっくに浜に打ち上げられているのに、玉手箱をあけるのが怖くて、僕はまた何かに酔おうとした。
箱を開けたら、僕は16歳ではなく、23歳な現実に戻される。それがわかっていたから、また見ないフリをしようとした。

けれど、AAにつながって、仲間の中で、少しずつ勇気をもらった。蓋をあけた直後は、すごく苦しかった。ストレートの仲間達の中で、自分が酒を飲む前の思春期の頃に感じていた劣等感を実は今でも感じていた事に気づいた。酒を飲む前の不正直さが、そのまま自分に残っていたことにも気づいた。酔って、手に入れたと思っていたものが、実は幻想だったと思い知らされた。自分は苦しくて、可哀想なマイノリティーだから、人を傷つけてもいいというのは、とんでもない思い上がりだったと認めた。僕を孤独で惨めで寂しい人間にしていたのは、結局僕自身だったのだと気づいた。
オトコかオンナか。ゲイかストレートか。僕の思い込みで、自分を無理矢理どっかに当てはめようとしていたけれど、僕は僕で、そのままでいいのではないか。と、そう自然に思えるようになった。セクシュアリティーなんて、指紋のようなもので、人それぞれ違って当たり前なのだと思うようになった。
かつて、僕が自分から背を向けて、けれど、本当は、何よりも欲していた、生きている事のリアリティーを、僕はAAを通して感じる事ができるようになってきている。そして、僕がちゃんと感じられる幸せは、もちろん苦しさも悲しみも、現実のなかにしかないのだと、素直に受け入れられるようになった。楽しみを感じる感性は、当然苦しさも感じてしまうけど、それでも、ちゃんと与えられた現実を生きたいと今は思えている。
傷つく事を恐れて、楽しみだけを欲しがって、感じる心を捨てようとしてきた弱くて幼い自分は、そう簡単には手放せないけれど、今は、今日一日ずつ、そういう自分を神様に預けながら、与えられた新しい幸せを生きていきたいと思えている。
by aa-sekumi | 2010-07-01 08:16 | Comments(0)