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ミーティング

 アルコール依存症のけんじです。
 
 このブログの手記に手を焼きながら、もんもんとしている。
 しかし、ミーティングがはじまってしまえば、なんとなく自分の体験を口にできているように、こ のブログも、書き始めてしまえば、お酒を飲んでいた頃に自分の抱えていた絶望感と、そして、自 分に何が起こったのかを、自然と書きたくなっているのかもしれない。
 
 例えば、朝の満員列車で「あなたは今、幸せですか?」と聞かれたら、正直答えに詰まるだろう。まだ眠い目で、少し昨日の疲れをひきずったまま、スーツ姿の自分が、エスカレーターの右側を駆け上がっていく。それだけで奇蹟だと思える日もあれば、思えない日もある。
 それでも、夜、今日一日、一杯の酒に手を出さないために集うミーティングと呼ばれる集まりに参加し、仲間に囲まれながら、自分の過去を回想するとき、「あなたは今、幸せですか?」と聞かれたら、ごく自然と「幸せです」と答えるだろう。なんとなくそう思わされてしまう。それはきっと、その幸せが現実だからなのだと思う。自分に必要な物は今日も、確かに与えられていたと気づける時間。それから、自分に働いた奇蹟に感謝し、まだ出口を探し出せずにいるアルコール依存症者のために祈る。
 信じればいい。というのは、はじめは簡単すぎるように思えた。しかし、自分では見つけられなかった出口が、すぐそこにあったというのは、AAに教えてもらった真実だと思う。だから自分に求められたはじめの一歩は、ミーティングに足を運ぶことだった。そして、すこしだけ、そこで感じた自分の人生が解決されたような感覚を信じてみればよかった。勝手口も玄関も開いている。だから目の前の鍵のかかった小窓に執着する必要はないのだと気づくだけでよかったのだ。
 4年前の12月に最後の酒を飲んだ。自分の人生が、目の前で選択を迫ってくると、僕は一通りうろたえて、逃げ出す。それが僕の生き方だった。周りの同級生達のように行動と結果を繋ぎながら、将来を築いていくという事が僕にはできなかった。そんな周りに首を傾げながら、酒や出会い系や、買い物で、不安を未来へ押しやりながら、自分が自分ではなくなるような、そういう瞬間に酔う毎日を送ってきた。つじつまが合わなくなったら、適当に嘘をつき、その嘘が自分をも酔わせて、肥大しながら奇形していく自我の醜さに気づかなかった。
自分が哀れまれている事にも気づかずに、二丁目でボトルを入れ、接客してくれるオトナを見下しながら、「もっと」楽しい事を、求めながら、いつまでも、どこまでも解放されないジレンマに苦しんでいた。感情や多幸感を多重債務しているような感覚だろうか。あてのない未来から借りてきた一瞬の快楽を大量に消費しながら、気づかないフリのつけが、強烈な不安になって、不眠の苦しみに変わる。僕はまたアルコールを飲み、風邪薬や咳止めを何箱も飲み、不安が消えるまで、意識を飛ばしておこうと目を閉じる。そのうちにそんな選択もできなくなり、盲目的にアルコールを流し込み、地面が回るような、方向感覚の喪失に焦り、何度も祈った事を覚えている。そうやって、自分の精神は破綻していった。具体的な出来事は今のこの平穏な生活に塗り替えられ、少しずつ忘れていく。けれど、当時のそういった抽象的な苦しい記憶は、いつまでも覚えている。それから、安いウィスキーが食道に張り付きながら鼻にのぼった、あの科学的な臭いと。
 、、、。
 そこから脱出できた喜びを、今日もまた、別なアルコール依存症者と共有できる。
幸せは、誰かとわかちあった時にだけ、現実として認識できる。というセオリーがある。僕は自分の体験から、今日もそれは真実なのだと感じる。



この文章は、個人の意見、考え方であり、AA全体の方針や、AA全体を代表する意見ではありません。また、AAがこの意見を支持しているわけではありません。
by aa-sekumi | 2011-12-30 22:22 | アルコール依存症 | Comments(0)